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反、反日左翼のためにーマルクス主義は現代の呪詛宗教である

マルクス主義、共産主義は特殊なタイプの現代における呪詛宗教である。そして、現代日本社会に存在する反日左翼の根底にあるものは今でもマルクス主義なのである。このブログでは閉鎖された拙サイト『マルクス主義は現代の呪詛宗教である』の中の主要論文『マルクス主義の解剖学』 『スターリン主義の形成』その他、論文を分割して掲載していきます。

<論文> マルクス主義の解剖学 1 


 『マルクス主義の解剖学』


 はじめにー序章 



 はじめに

 私は1,950年代末の生まれである。ちょうど団塊の世代から1世代後の世代である。子供時代は日本の高度経済成長の真っ只中であった。車や様々な電気製品が次々と発売され、胸を躍らせたものである。この急激な経済成長とともに、生活が大きく変わっていく様は日本の歴史の中でも特異なものであったろう。しかし、その変化を当然のように感じて育った世代なのである。すでに物質的にかなり豊かになっていたそれ以降の世代の人たちには、この感覚というものはなかなか理解しにくいかもしれない。そして、私たちより前の世代、団塊の世代からその少し後までの世代、戦後から1,950年代前半の人たちの感覚もかなり違ったものがあるようである。またその世代の人と戦争を体験した人達との人生観や社会観の違いも大きなものがあるだろう。これは大きな歴史の変化を受け続けている明治維新以降の日本においては仕方のないことかもしれない。


 特に私が感じていたのは、少し前までの世代の人達との間に社会、世界に対する感覚、感性、思考様式、行動などに根本的に異なるものがある点である。もちろん、すべてではなく部分的なものであるが、、、これは何かと考えてみたときに、それは思想や政治上の問題、そのなかの社会主義、共産主義、マルクス主義などの左翼思想に対するスタンスの差であると理解するようになった。


 私個人の成長過程で、これら左翼思想の影響は直接にはほとんどなかったのである。1,960年代は全共闘などの学生運動が盛んだった時代である。この時代に青春期を過ごした人は、どのような形であれ左翼思想の影響を受けたのである。そのことに共感するか、反発するか、関係ない態度をとるか、様々な人がいたと思うが、その時代の雰囲気から完全に逃れることはまったく不可能であったのである。しかし、学生運動の衰退、極左組織である連合赤軍の事件などを契機に社会主義、共産主義の運動は衰退していった。1,970年代半ばになると、これら左翼思想をとりまく社会の雰囲気は大きく変わってしまったのである。これは世界的な動向―とくにソ連のスターリン批判やハンガリー動乱、チェコスロバキアのプラハの春の弾圧といった出来事、さらにはソ連の反体制知識人、作家などの著作が刊行され共産主義体制の内実が広く知られるようになっていったということも関係している。


 つまり、私の世代が青春期を迎える頃には、左翼思想はすっかり衰退していたのである。私自身も身近なところで社会主義者や共産主義者はまったくおらず、同世代の友人と左翼思想を話すことはなかった。この世代間の隔たりは非常に大きいものがあるだろう。もちろん、私の世代でも左翼思想に興味を持つ、あるいはそれに入り込む人もいたことだろう。しかし、そのような人はかなり少数派であったように思われる。


 私が私の世代の感覚や思考を代表するわけではないので、これが一般的なものであるかどうかは断言できないが、左翼思想に対する感覚というものは否定的であり、マイナスのイメージが最初からあったように記憶している。伝えられる社会主義国の内情はかなり暗いものであり、その抑圧的な体制、理想とは裏腹の格差社会、言論や行動の不自由さ、軍事力に頼る強圧的な政府などが左翼思想とひとつになったイメージをもたらしていたのである。特に私が敏感に感じたのが核軍拡競争で、核実験による放射能が話題になっていた。これはアメリカも同じだということになるが、実際に核ミサイルの標的にされているのはソ連の方なのだから当然の感覚だとはいえるだろう。


 私自身、マルクス主義、共産主義に対して「自明の不可能性」を直感していた。しかし、これは直観であり言語化して表現することは極めて困難なことだったのである。私は哲学や思想、心理学、社会学、宗教、美術、科学一般等に興味を持ち勉強してきた。が、そのネガティブなイメージからマルクス主義、共産主義に対しては避けて通ってきたのである。1,990年を前後して、東欧やソ連といった現存した社会主義体制の多くが崩壊していった。それでなくても衰退していた左翼思想は大打撃を被ったのである。そして、今まで秘匿されていた多くの資料、事実が公開され、社会主義体制の歴史の詳細が知られるようになっていった。私はこの中の「スターリンの大テロル」と呼ばれているものに異様な感覚を受けたのである。そのことを契機に、初めてマルクス主義、共産主義の問題に取り組むようになった。これはソ連崩壊からかなり経ってのことであり、かなり珍しいことであるだろう。だが、多くの資料が揃い、客観的に歴史を展望できる位置から研究をスタートしたことは有利な条件であるとも言える。この論文は、この研究の成果である。

 序章 解剖学の視座

 まず始めに、マルクス思想を分析、解明する上での、基本的な対象、視座、枠組み、方法を述べておきたい。いうまでもなく、マルクス思想の体系は広大な領域におよんでいる。その複雑極まりない膨大な理論は、歴史的に多くの社会状況の下で、多くの人たちに考えられ論じられてきた。もちろん、そのすべてを対象にすることは到底、不可能なことである。ここでは今日的に重要な問題だと思われる資本主義分析から革命論、未来社会論を対象に論じていきたい。


 マルクス主義、その真髄と言われている「唯物史観」によって、ロシア革命は引き起こされ、現存した社会主義体制が形成された。その影響は現在まで続き―とくに東アジアにおいてはそれが著しい―重要な問題になっている。ところが、現在ではもはやこれらの問題はほとんどかえりみられない状況である。本論ではこの唯物史観の革命論から未来社会論に焦点を当てて批判的に再検討しようというものである。


 この再検討の枠組みと方法を述べるにあたって、ある譬え話を用いてみたい。それというのも、マルクス主義と現存した社会主義体制との相関関係は非常に複雑なものであり、両義的、逆説的、多層的な関係を多く含んでいる。また、イデオロギー性をどう評価するかということも非常に難しい問題である。さらに、現存した社会主義体制が形成された根本要因がイデオロギーであるのか、ロシアの歴史的後進性などに由来するのか、という議論もある。また、この議論の方法の中に今までまったくなされたことのない視角からのものがある。これらをわかりやすくするために、譬え話によって説明してみよう。


 ある場所に、最高級のフグが置いてあった。そしてその横に、そのフグを詳しく分析した論文が添えられてあった。その中には、フグの体の構造や機能、食するのに非常に美味な肉の成分の分析、それがどうして美味に感じるのかという研究がなされてあった。さらにその魚のさばき方、簡単な調理法なども記されてあった。そこにフグというものをまったく知らない人がやってきて、その論文を読んでみた。実はその論文はフグをまったく知らない人がそこにきて読むであろうとわかって書かれていたものだったのである。その人はそれを読んで、そのフグを食べてみたくなった。そして、それを調理し食したのである。確かにその肉は非常に美味であった。ところが、少したってその人は苦しみだし、とうとう死んでしまったのである。いうまでもなく、フグにある猛毒テトロドトキシンを摂取してしまったからである。ところが、この世界ではそのことはよく知られていなかった。当然、大多数の人は男がその魚を食べたからそうなったのだと考えた。そして、その魚に近づかなくなったのである。しかし、死んだ人の検死が行われたが、その原因はなかなかつかめなかった。するとその論文をよく知っている人が「この論文に書かれてあることを精査してみたが、確かにいくつか違う点もあった。しかし、根本的には問題はなく、間違ったことは書かれていない。このことだけでこの論文とその魚にその人が死んだ原因があるとみなすのは間違いではないだろうか。死んだ人自身に別の理由があったのかもしれない。たとえば特殊なアレルギー体質だったのかもしれない。とにかく、この論文を元にフグをいくら調べてもほとんど正しいのである。この魚は非常に美味しい魚である。このことで食べるのを諦めるのは残念なことである」 。

 

 これが何を譬えているかは簡単に理解されよう。死んだ人とは「現存した社会主義体制」であり、フグとは「社会主義革命」 、その論文とは「マルクス主義、唯物史観の理論」である。この例えで最も重要なポイントは次のことである。論文に書かれていることをどれほど精査したとしても、その原因は決してわからない、ということである。問題は何が書かれてあったかではなく、フグにテトロドトキシンという猛毒が含まれてある、ということが書かれていなかったことが大問題なのである。すべきことは、フグを解剖し、毒を摘出し分析することである。―これがタイトルにある「解剖学」の意味である。これに対して当然反論が予想されるだろう。 「そもそも、その魚がフグであったという前提自体が、反共主義的独断であり、確定できることではない」 。確かにこの魚がフグであったという前提を出発点として議論を進めていくことはできない。しかし、このようなものであるという可能性を考慮しなければならないのである。それというのも、これら議論に関わる人はあまりにもマルクスが書いたことのどこが問題であったのか、ということのみに執着し、文献学や解釈学に終始しているように思われるからである。


 この論考では、一般的に論じられている問題、争点をほとんど扱わない。それはマルクス主義の全体性に対する疑義を出発点としているのであり、その全体性に対する欠如を指摘するところから始められている。つまり、先の譬えのフグの全体性を把握するところから始められる。それはマルクス主義と別の体系を対置する、に等しいことなのである。

(色字 引用文)


 ・・・マルクスの共産主義論の理論的内容の核心は、以上である。マルクスにあっては、共産主義の概念に含まれるこれらの内容は、眼前に存在する資本主義社会の理論的・体系的認識の帰結として、そのうちのどれひとつを欠いてもその全体がゆらがざるをえない、というほどの一体性をなしている。もちろん、マルクスの理論に誤りがあれば、その誤りは正されなければならない。だが、その場合、 体系的な理論的認識として一体をなしているマルクスの理論のうちの一部分だけをとりあげて誤りだとし、それが全体に及ぼす帰結には触れないまま頬かむり、ということは許されない。マルクスの共産主義論の核心的内容をなすもののなかに誤りがあると主張するのであれば、マルクスの資本主義論の全体を徹底的に検討し、それが根本的に誤っていたのだ、ということをはっきりと示すべきである(1)。


 本論は以上のようなマルクス主義の側からの指摘に対する応答になるだろう。マルクスの資本主義論の全体を徹底的に検討し、それが根本的に誤っていたのだ、ということを示すべきである―これは実に複雑な構造になっているので、問題のひとつひとつを解きほぐしていくような緻密な作業が必要になってくる。また、これは単に資本主義論にとどまる問題ではないのである。経済機能構造分析の新しい捉え方も必要になってくる。まず、『資本論』を中心とした批判的分析から始めることにしよう。



(1)大谷禎之介  他『ソ連の「社会主義」とは何だったのか』大月書店、1996年、15,16頁


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