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反、反日左翼のためにーマルクス主義は現代の呪詛宗教である

マルクス主義、共産主義は特殊なタイプの現代における呪詛宗教である。そして、現代日本社会に存在する反日左翼の根底にあるものは今でもマルクス主義なのである。このブログでは閉鎖された拙サイト『マルクス主義は現代の呪詛宗教である』の中の主要論文『マルクス主義の解剖学』 『スターリン主義の形成』その他、論文を分割して掲載していきます。

<論文> スターリン主義の形成 6 

 

 『スターリン主義の形成』

  

 第3章 ネップからスターリン大転換へ

 

 第1節 ネップとイデオロギー的考察

 

 1921年6月5日、第3回コミンテルン大会でロシア共産党(ボ)の戦術についての報告に立ったレーニンは次のように言っている―「革命前にもその後もわれわれはこのように考えていた。―今すぐにか、あるいは、少なくとも、非常に早く、資本主義のもっとも発達した他のいくつかの国で革命がはじまるだろう、そうでなければわれわれは滅びざるをえない。この認識にもかかわらず、どのような状況下でもなにがなんでもソヴィエト制度を維持するためにわれわれが手段を尽くしてきたのは、われわれは自分達のためだけでなく世界革命のためにも働いているからである」。今、レーニンによれば、「諸条件の独特の組み合わせ」によってブルジョワジーがソヴィエト・ロシアと戦争を継続することは妨げられているが、「今後もそのような試みが続くことはまったく疑いない」。ボリシェヴィキはプラグマティックに行動し、「この短い息継ぎ」をロシアにおける「プロレタリアートの権力維持」に利用しなければならない。レーニンは、世界革命の発展がボリシェヴィキの予想したほどには積極的に進まなくても、それでもとにかく前進する、と確信していた。彼はネップが「資本主義への譲歩」だと公然と認めたうえで次のように言明する―「しかしわれわれは時間を勝ち取る。われわれの国外の同志たちが革命をしっかりと準備しつつある均衡の時代には特に、時間を勝ち取ることはすべてを勝ち取ることになる。革命がしっかりと準備されればされるほど、勝利は確実になる。が、それまでわれわれは譲歩を強いられるであろう」。


 このときレーニンは「西欧の同志」が支援に駆けつけるまでソヴィエト政権を維持する、そのためにのみネップを利用しようとは決していっていない。そうではなく、レーニンの考えによれば、ボリシェヴィキは資本主義に譲歩しつつ、同時に、革命のさらなる進撃を準備しなくてはならない。このゆえに、「困難と障碍はあるにせよ、不断に階級の廃止と共産主義へと歩むプロレタリア政権を維持し強化するかぎりにおいてのみ」、ボリシェヴィキにとってネップは意味がある。スターリン現象を含めてソ連邦史を正しく理解するためにはネップを工業化・農村の集団化と対置してはいけない。すでに1920年の末にレーニンが国民経済の物質的・技術的基盤の有望な開発プランとしてロシア電化委員会を出してきたとき、有名な規定をあたえていた―「共産主義とはソヴィエト権力プラス全国の電化である」。彼は発達した大工業なしに、「社会化された大規模機械化農業」なしには共産主義への移行は不可能である、と強調し、つけ加えている―「これを忘れるものは共産主義者ではない」。先走っていえばスターリンは決してネップを廃止したのではない。ただ、ネップがその任務を終え、自ら寿命が尽きたのである(5)。


 先進国革命、世界革命に対する本論の結論はすでに出ている。この結論からいえばボリシェヴィキはレーニンの言葉通り、「滅びるしかない」ということになる。しかし、ここから70年に及ぶ悪あがきが始まるのである。ここからソ連の体制が70年も続いたという最大の理由のひとつは、これをまったく悪あがきだとは認識していなかった点にある。この引用文中におけるレーニンの論理を検討するだけでも、その巨大な誤謬の羅列を考えていかなければならない。


 レーニンはネップを「短い息継ぎ」の間のボリシェヴィキ権力を強化するための「資本主義に対する譲歩」だといっている。これは根本的におかしい。ネップへと退却したのは、戦時共産主義の経済政策の失敗の結果である。ここで重要なのは、この退却が二段階で行われているという点である。ロシア革命を考察した文献でこのことに言及したものはまったくないように思われる。これは非常に重要なことなので、詳しく論じていきたい。「マルクス主義の解剖学」第8章で検討したように、革命前、革命直後は非常にユートピア的な楽観論によって革命が進められた。このユートピア的な政策は反作用としての「魔術的因果性」「増幅された能力転移」という深層の論理にもとづいている。これが巧妙極まりないマルクスのイデオロギー体系によってもたらされたものであることは詳論されてきた。その中心となるのは「労働者自主管理、労働者統制」である。革命によって労働者は資本家、工場管理者を追い出して自分達で運営を始めた。部分的にうまくいったところもあるが、大局的には悲惨な状態となった。工業、鉄道は壊滅的な機能不全に陥ったのである。その理由も「マルクス主義の解剖学」第8章で詳しく論じられた。ボリシェヴィキはその機能不全状態を改善すべく、経済官僚、ブルジョワの工場管理者、専門家を登用せざるをえなかったのである。もう、この時点で唯物史観の中核である「社会主義革命からプロレタリアート独裁へ」から逸脱している。これが第一の退却である。この第一の退却は革命後、数ヶ月という短期間に起ったものなのである。


 これらの考察は、今までの繰り返しになるところが多いが、これまで指摘されたことがなく理解しにくい微妙な領域なので、そのことを強調しておきたい。この第一の退却の後、官僚体制は拡大の一途をたどり、食糧徴発には軍隊も動員された。工業生産物と農産物の強制的な交換が推し進められたのである。しかし、担ぎ屋などの私的商業はなくなることはなかった。改善されない都市の飢餓、クロンシュタットの反乱、農民の反乱、飢饉などにより私的商業の復活を認めざるをえなくなったのである。つまり、最初のプロレタリアート独裁(文字どおりの意味における)から第一の退却が起こり、官僚体制による指令的、計画的な生産物交換の体制となり、そこからさらに制限されつつも広範囲な私的商業、農産物の自由な売買を認め、徴発ではなく現物税による資本主義へ第二の退却が起こったのである。一般的に第二の退却のことをネップと呼んでいる。これらはやむを得ない退却の連続なのであり、余裕がありながら相手に譲歩したわけではない。さらにその資本主義と呼ばれるものは、外国の資本主義国だけでなく自国の大多数の住民も含まれるのだから、ボリシェヴィキは自分達以外はまるで全員、敵であるかのような認識なのである。これもよくいわれるように、ボリシェヴィキはその国を代表する統治機関ではなく、まるで敵国に攻め行った侵略国の占領軍のごとくなのである。


 「西欧の同志」が駆けつけてくれるまでの時間稼ぎ、ということも唯物史観を信じ込んでいるところからきていることは明白である。その可能性は非常に少ないし、もし先進国で社会主義革命が成功したとしても、生産力は壊滅的な下落を起こし、そこから回復するのにロシアと同じように官僚体制を取らざるをえない。真の意味でのプロレタリアート独裁へ向かうことなどありえないのである。つまり、レーニンのこの「資本主義への譲歩」はロシアの特殊な社会的状況、特にロシアが資本主義後進国であったということ、マルクスの社会主義革命の条件・・・資本主義が極点に達するほど発達すること・・・ではなかったということが、譲歩しなければならなくなった原因なのである。重要なことは第一の退却が「能力の壁」に抵触することによって起こった退却であるが、第二の退却はそうではないということである。第一の退却の原因がロシアの特殊な社会的状況にあったというのは、まったくの妄想であることはこれまで論じられてきた。ところが唯物史観に埋没しているとこのことがまったく分らなくなる。レーニンは第二の退却が、未来に取り戻すことができるのは第二の退却までであり、第一の退却は絶対不可能であることを夢の中にも考えてはいないのである。第二の退却と第一の退却は抽象的な観念の中でひとつになってしまっている。そもそも、第一の退却を退却とは気が付いてもいないのである。それでいながら、ネップへと譲歩し、力を蓄えることが第一の退却を取り戻すことであると信じているのである。*2


 「困難と障碍はあるにせよ、不断に階級の廃止と共産主義へと歩むプロレタリア政権を維持し強化するかぎりにおいてのみ、ボリシェヴィキにとってネップは意味がある」共産主義社会のもっとも根本的な属性が無階級社会なのだから、ある政治権力がそれに向かって歩む、などということは永遠にありえない。政治権力と無関係な生物学的進化・・・まったく途方もない意識進化によってのみそれは可能なのである。プロレタリア権力であるボリシェヴィキを維持し強化するかぎりにおいてのみネップは意味がある・・・これはまったくおかしい。ネップという資本主義の要素を取り入れることが、ボリシェヴィキ権力を維持し強化することになるのなら、単にそれは社会主義より資本主義の方が優れているということを意味しているだけである。ボリシェヴィキ権力の目的が、資本主義や社会主義、共産主義とは別のイデオロギー領域なら矛盾はしないが、レーニン自ら認めているように資本主義と共産主義は完全に排他的なひとつのイデオロギー領域である。共産主義を目指すために資本主義の方が有利である・・・これほど矛盾した話はない。これを譲歩というのは単なるごまかしでしかないことは明らかである。ここでもロシアの特殊な社会的状況、資本主義後進国であったということが逆にいい逃れの理由をあたえているのである。こうなると、この社会的状況はこのイデオロギーを遂行していくにあたって、むしろ必須ともいうべき条件のように思えてくる。「共産主義は大工業なしではありえない」この問題も今まで幾度となく考察してきたことなので、もう繰り返す必要はないだろう。


 上の引用文中の「共産主義」を「スターリン主義」に置き換えてみれば実によく当てはまることに気づかれるだろう。ここでレーニン、トロツキーとスターリンの根本的な違いが表れてくる。レーニンとトロツキーは、第一の退却と第二の退却をひとつの抽象的な観念の中でとらえていて、同一のものとみなしている。第二の退却は未来に第二の退却、第一の退却ともまとめて取り戻すためのものなのである。しかし、スターリンはおそらく・・・口で何といっていたとしても、取り戻すことができるのは第二の退却だけであり、第一の退却はまったく考えていなかったのではないだろうか。これこそが正しい現実認識なのである。スターリンが独裁権力を握ることになったのは、単に権謀術数に優れているだけでなく、現実認識としても卓越したものを持っていたからなのである。それでいながら、スターリンはレーニンやトロツキーと同様にイデオロギーを狂信していることに何の変わりもないのである。この極度の両義性こそスターリンを理解する上でもっとも重要なこととなる。

 

 *2以上の考察は、現代中国を解釈する上でも非常に重要である。これは全く信じられないことなのだが、中国共産党の最も大局的な方針は、このレーニンの第二の退却は未来に第一の退却もまとめて取り返すためのものである―これを非常に巨視的なスケールで実践しているものだと言えるのである。このレーニンのネップへの譲歩を非常に長期に、柔軟に、大規模に推し進めているのが現在の状況だという解釈も可能なのである。そして未来のいつか、たとえ何百年後、何千年後であったとしても第一の退却を取り戻すことができれば、共産主義社会は実現するのである。それまで共産党は権力を独占しつづけることができる、あるいはそうしなければならないということである。もちろんこれは、唯物史観以外の要素との間の様々な関係によって左右されるわけであるが、中国の場合は共産主義イデオロギーとの親和性が非常に高いと言えるだろう。それはおそろしいくらい親和的なのである。

 

 第2節 「永続革命論」対「一国社会主義論」

 

 レーニン死後、繰り広げられた党内闘争は非常に複雑である。ここではトロツキーの「永続革命論」とスターリンの「一国社会主義論」を今までとはかなり異なる角度から考察してみたい。いうまでもなく本論の考察からすれば、どちらも誤りであることに変わりはない。しかし、スターリン主義形成を解明する上では避けて通ることの出来ないものである。


 この論争は一般にいわれているほど、(特に反スターリン主義者が強調するように)対立的であるわけではない。スターリンはロシア一国で社会主義が勝利することが出来、それでよしと考えているわけではない。社会主義革命は継続されるのは当然なのである。しかし、先進国で社会主義革命が起こりそうもない状況で、ロシアはどうすべきかということは切実な問題である。その間、ロシアは社会主義体制を維持し強化し、他国のプロレタリアートの力を借りることを期待するだけでなく、むしろこちらから他国のプロレタリアートを勝利に導くよう助けなければならない。そのためにはまず、ロシアに社会主義体制を確立しなければならない、ということである。そのためにはロシアは一国でも社会主義を確立できるということを、スターリンは宣言しなければならなかったのである。そしてこれは多くの党員、大衆にとっても支持される理論であった。そしてスターリンは『レーニン主義の基礎』などの論文により、党員大衆を社会主義の「レーニン的道」に立ち上がらせることに成功したのであった。そして、自分をレーニンの正当な継承者であると誇示することが出来たのである。


 一方、トロツキーはスターリンの中に凡庸さしか見ていなかった。「テルミドールは自分の鼻より先を見ない人を必要とするのだろう」「スターリンの力は彼が他の誰よりも不屈に、断固と、無慈悲に支配カーストの自己保存の本能を発揮した点にある」「スターリンが機関を作ったのではなく機関がスターリンを作った」。しかし、スターリンは単に権謀術数の達人であっただけでなく、理論的にも実践的にも自分の正当性を党上層部の仲間だけでなく、党員大衆にも認知させることが出来たのである。


 ・・・しかし、われわれが知っているように、ネップ以後ボリシェヴィキ指導者のほとんど全員が、「工業独裁」という人も、「工業と農業の結合」という人もいたが、レーニンに倣ってプロレタリア政権強化のため経済建設が不可避だとは言っているのである。したがって一国社会主義論はある程度党内気運の反映だったといえる。しかし、スターリンまでは、レーニンもブハーリンも含め、誰も一国で社会主義が勝利しうると自信をもって語ってはいない。スターリンの理論は、その時点ではまだ中途半端な形ではあったが、反トロツキー闘争の理論的武器として考え出されたものである。トロツキーでさえスターリンの理論に反対しえなかったし、世界革命という崇高な原則を裏切ったと彼を非難することも出来なかった。この理論はレーニン主義という武器庫にあった材料をスターリンが加工した結果であり、まさに、スターリニズムの理論的基礎になるものであった(6)。


 トロツキーはロシアのような工業化の遅れた農業国では一国で社会主義建設は不可能であり、世界革命は絶対に必要であるという信念を曲げることはできなかった。国内政策では後にスターリンが横領することになる超工業化を主張した。しかし、このような永続革命論の立場を取ったとして、具体的にどのような政策を意味しているのだろうか。先進資本主義国に革命戦争を仕掛けることなのだろうか。それとも要人を暗殺することなのだろうか。コミンテルンがしている以上の活動ができるのだろうか。他国にできることは極めて限られている。それらの国で社会主義革命が起こらない以上、ロシア一国での社会主義建設というのは避けて通ることの出来ない問題である。マルクスやエンゲルスは一国での社会主義建設は不可能であると言っているし、資本主義が高度に発達しないと革命が起きないとも言っている。確かに、社会主義革命が起きたのが、例えば西欧の中の小国だったとしたらその体制を維持するのは困難であろう。だがロシアはこれら資本主義国からある程度の距離があり、多くの人口を擁し、そしてなによりも世界一の広大な国土を持っている。さらに資源も豊富にある。これらの条件は一国での社会主義建設に非常に有利に働いているといえるだろう。事実、干渉戦争のあとは民主主義の資本主義国から軍事攻撃を受けることはなかったのである。もちろん、ナチスドイツは例外である。


 トロツキーはスターリンとの権力闘争も政策論争も完全な敗北に向かいつつあった。スターリンはトロツキーとの論争によって自己の理論を明確にし、鍛えていくことが出来たのである。それと同時に、分派禁止を駆使してトロツキーら反対派を潰していくことが容易になった。また、党員大衆の政治的教養の低さがスターリンに有利に働いている。大多数の党員にとってこの論争の内容は理解しにくかった。反対派の支持者は最大結集時でさえ、7、8千人を超えていなかったとされている。しかし、トロツキーの見解を意識的に拒んでいる人もそれ以上ではなかったということである。このため残りの全党員はスターリンとそのグループによる洗脳工作の対象となった。ほかならぬこの一般党員の無定形性こそが、スターリンが次第に優位、優勢となるのを許したのであった。それは決定的な時期に数万人の党員が「指令」、「指示」、「中央委員会の方針」におとなしく従ったからである。


 これらのことと関連して、トロツキーの心理とイデオロギーとの関係を考えていきたい。トロツキーがなぜこれほど「永続革命論」に固執していたのか、という理由である。今までに幾度となく取上げられてきた「官僚主義」の問題、本来のプロレタリアート独裁からの逸脱とみなしてきたことである。トロツキーはこの官僚主義がロシアにおいて肥大化してきたのは、ロシアがまだ資本主義後進国であり、プロレタリアートがまだ社会主義を建設する水準になかったからだ、と考えてきた。そのために、資本主義先進国のプロレタリアートの力が絶対に必要であったのである。そのためにはどうしても世界革命が必要である。しかし、「永続革命論」と「一国社会主義論」の官僚主義との関係は論理的必然性を持って結びつくものなのだろうか。すなわち「永続革命論」は官僚主義を排し、真の意味でのプロレタリアート独裁から社会主義社会に向かうものであり、「一国社会主義論」は官僚主義を認めてしまうものなのだろうか。この二つの問題は本来別なものであるはずである。しかし、この論争においては背後にこの関係が随伴しているように思われる。このことにスターリンはどのように考えていたかはよく分らない。しかし、トロツキーにとってみればこれは死活問題であった。官僚体制の頂点に立つスターリンは「一国社会主義論」でロシア内部でこの状態を固定させて、つまり自分の位置を確実なものとさせながら社会主義を目指すことができる―社会主義、共産主義への輝く道と自らを同一のものとさせることができる。これは、トロツキーには絶対に認めることの出来ないマルクス主義への裏切りとなるだろう。


 本論におけるこの問題に対する結論はすでに出ている。スターリンの代わりにトロツキーがソ連の指導者になっていたらという仮定はよく持ち出されることである。トロツキーのこの「永続革命論」の路線で、ソ連の政策が進められたとしたらどのようになっていただろうか。過激な革命の輸出が続けば、資本主義国との緊張関係は激化していくだろう。国内でスターリンが後に行ったような農業集団化と超工業化をさらに早い段階で行っていただろう。これらのことを考えただけでも、スターリンよりもさらに大きい災厄を世界とロシアにもたらす可能性の方がはるかに大きい。さらに、本当に官僚主義の是正をおこなうとして、官僚体制を排しプロレタリアートを行政や党の中央部に登用すれば前章で検討したようにレーニンと同じ道を歩むことになる。その機能不全状態は社会すべてに破滅的な状況をもたらすことは確実なのである。つまり、トロツキーかスターリンかではなく、このイデオロギーを遂行しようというそれ自体において、政策の選択肢は極めて限られているということなのである。根本的にイデオロギーの額面上の目標とその遂行との間には巨大な溝が横たわっている。レーニンであろうとトロツキーであろうと、スターリンであろうとそれ以外の誰かであったとしてもその状況に何の変わりもないのである。この巨大な溝に両足をかけて歩き続けるものだけが勝利を得ることになる。このイデオロギー遂行の内部において・・・であるが。

 

 

(5)リ・バンチョン 『スターリニズムとは何だったのか』 久保英雄訳 現代思潮新社 2001年 189,190頁
 

(6)同上書 231,232頁


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