反、反日左翼のためにーマルクス主義は現代の呪詛宗教である

マルクス主義、共産主義は特殊なタイプの現代における呪詛宗教である。そして、現代日本社会に存在する反日左翼の根底にあるものは今でもマルクス主義なのである。このブログでは閉鎖された拙サイト『マルクス主義は現代の呪詛宗教である』の中の主要論文『マルクス主義の解剖学』 『スターリン主義の形成』その他、論文を分割して掲載していきます。

<論文> マルクス主義の解剖学 13 


 『マルクス主義の解剖学』

 

 第8章 現実化したマルクス主義

 

 ここから本論の今までの論考をもとに、現実に生起した歴史過程の分析、解釈に入ることにする。その中心になるものはいうまでもなく人類史上初めての社会主義革命を実現したロシア革命である。ロシア革命の考察、解釈は今まで膨大な量がなされてきた―本論はこれらの解釈と根本的に異なるものを持っている。この解釈の延長上に20世紀最大の謎といわれるスターリン体制の成立、左翼全体主義の解明があるが、ここではロシア革命の初期段階、特にテクノクラートと労働者自主管理の問題を扱うことにしたい。

 

 第1節 ロシア革命

 

 1917年10月25日(新暦11月7日)レーニンとボリシェヴィキはクーデターによって、その権力を掌握した。ついに社会主義革命のルビコン川を渡ったのである。ここに至るまでの経過は、多くの書物によって研究され、描かれてきたことであるがボリシェヴィキにとって多くの幸運が重なったことがわかっている。蜂起の段階で権力の掌握は確実なものとなっていた。しかし、その権力を維持することは非常な困難が待ち受けていたのである(41)。


 革命が成功したそのとき、人類がいまだかつて経験したことのない、マルクス主義、共産主義イデオロギーのイデオロギー空間が形成された。それは目に見えない衝撃波となって地球全体を駆け巡ったのである。それは権力の主体が反作用としての「魔術的因果性」「増幅された能力転移」にもとづいて政策を遂行する―ということを意味している。レーニンは『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』の冒頭部分でこのように書いている「マルクスの学説は正しいから、全能である。その学説は完全で均整がとれており、どのような迷信とも、どのような反動とも、またブルジョワ的抑圧のどのような擁護とも妥協できない、全一的な世界観を提供している(42)」これは唖然とするような文章である。ある学説の正しさが、どうして全能性へと結果するのだろうか。しかし、マルクス主義の宗教性の考察からレーニンの確信の理由を推し測ることができるのである。


 資本主義体制を破壊し、収奪者を収奪し、その勢力を抑圧、撲滅、抹殺することによって、その能力がとてつもない規模で増幅されて転移する、という魔術的因果性が権力を握ったボリシェヴィキに刷り込まれているのである。これらは深層の論理であり、決して意識化することはできない。これがレーニンの全能感の源泉なのである。そして自らは、どのような迷信とも妥協できない、と考えているのである。つまり、完全に逆さまの世界に住んでいる人といえるだろう。そしてさまざまな論理がこのことを補強する。それはボリシェヴィキだけではなく、メンシェヴィキにもその他の社会主義者、あるいはプロレタリアート、兵士たちにも広く共有されるものだったのである。このことが、ボリシェヴィキの権力掌握とその維持に強い力を与えることになった。


 ブルジョワジーや貴族、立憲民主党に対する弾圧は、革命直後に始まっている。そして、官僚のストライキや反革命分子を取り締まり、弾圧するための秘密警察、チェーカーはジェルジンスキーの指揮のもと革命後2ヶ月足らずで設立された。恐るべき20世紀秘密警察の典型的な雛型が形成されていったのである。これらは白衛軍などの本格的なボリシェヴィキに対する挑戦がはじまるかなり前の事である。ここで注目しなければならない重大な問題は次のようなことである。この秘密警察はそれ以前の帝政時代の秘密警察とは根本的に性格が異なる、ということである。帝政時代の秘密警察は、イデオロギー上の目的ではなく専制体制を維持し、守ることが目的であった。しかし、チェーカーはマルクス主義、共産主義イデオロギーに奉仕するという目的があったのである。ジェルジンスキーは志操堅固な共産主義者であった。これは単にボリシェヴィキ体制を打倒する勢力から守るということのみが目的なのではない。ブルジョワジーとその勢力、あるいは旧体制の勢力がボリシェヴィキにとって危険であろうが、なかろうが、その階級であるということにおいて、収奪され、抑圧され、弾圧、抹殺されるべきものなのである。これは第1章、第2章で考察されてきたマルクスのイデオロギー操作からもたらされたものであるということが理解されるのではないだろうか。ブルジョワジーを労働価値説の対象から巧妙に除外して、単なる搾取者に仕立て上げるということが絶大な効果を発揮しているのである。そして、さまざまな論理によって、これは歴史の必然的な発展であると考えられているのである。これに反するものは人類の進歩に逆らうものであるという強固な信念が形成されている。このことが敵対する階級にたいして、相手がこのことを察知して対抗する手段を講じてくるだろうということを予測させる。それに対して先手を打たなければならない―そのような行動に駆り立てることになる。それがチェーカーの疑わしきは抹殺する、というような過剰な行動へ導くといえるだろう。

 

 第2節 ボリシェヴィキのイデオロギー

 

 ロシア革命の分析をするにあたって、確認しておくことがある。それはレーニンをはじめとするボリシェヴィキのイデオロギーはマルクス主義、唯物史観であり、それも原理主義的といえるほどのものであった、ということである。何をわかりきったことを、と思われるだろうが、これが意外なほど問題になってくるのである。後でまた詳しく論じられることになるが、革命後のボリシェヴィキの行動から彼らのイデオロギーの目的はマルクス主義ではなく、ロシアの伝統的な専制体制を復興させることである、というような解釈も存在するからである。つまり、マルクス主義のイデオロギーは副次的な仮ものにすぎず、それは伝統的な政治体制を自分達のものにするための方便にすぎない、ということなのである。これは後のスターリン体制、全体主義体制に至ったのはロシアの伝統的な専制体制が中心にあり、それにマルクス主義のイデオロギーが接ぎ木されたからである―中心にあるものはロシアの伝統である、このような解釈がリチャード・パイプスなどによってなされている。


 ボリシェヴィズムを支える理論、すなわち、カール・マルクスの著名な理論が西側の起源であったということは論争の余地がない。しかし、ボリシェヴィキの実践活動がその土地に固有のものであったことも同様に争う余地がない。西では、マルクス主義がレーニン―スターリン主義の全体主義的暴圧に至るところはなかったからである。マルクス主義は、ロシア、続いて、同じような伝統をもつ第三世界の諸国の、自治、遵法、そして私有財産を尊重する伝統がない土地に所を得た。異なる状況では、異なる結果をもたらす原因というものは、殆ど十分な説明たりえない。


 マルクス主義には絶対自由主義的なところと権威主義的な気質があり、その二つのうちどちらが優勢となるかは国の政治文化というものにかかっていた。ロシアにおいては、その国の家産制的な遺産に適合する諸要素が、マルクス主義者の教義のなかで優勢となった。中世以降のロシアの政治的伝統では、政府、正確に言えば統治者が主体であり、「国」は客体であった。この伝統は、マルクス主義者の「プロレタリアート独裁」という概念と容易に融合し、そのもとでは、統治する党が、その国の住民と資源に対し排他的な支配を主張した。そのような「独裁」に関するマルクスの考えは、最も手近な内容で満たせるほど充分に曖昧であった。そして、ロシアでは、それは家産制の歴史的な遺産であった。マルクス主義のイデオロギーをロシアの家産制の遺産の頑強な幹へ接ぎ木したことが、全体主義を生み出したのであった。全体主義は、マルクス主義の教義か、あるいは、ロシアの歴史かのどちらかにだけ言及することでは説明されえない。それは、それらが結合した成果であった。


 イデオロギーは重要であったが、しかし、共産主義ロシアの形成におけるその役割は、過大視されてはならない。もし、一個人、あるいは一グループがある信念を公言し、行動への指針としてそれに頼るとするならば、それは、理念の影響のもとで行動していると言えるかもしれない。しかし、理念が個人的な行動を導くためではなく、他者への支配を正当化するために用いられたとき、それが、説得によるものであれ、強制によるものであれ、問題は混乱する。そのような説得、あるいは強制が理念に奉仕しているのか、そうではなく、理念の方がそのような支配を保証し合法化するのに役立っているのかを、確定できないからである。ボリシェヴィキに関しては、後者の場合であったと主張する強力な根拠がある。何故なら、彼らは考えうるあらゆる方法を用いて、最初は政治権力を獲得するために、ついでそれを維持するために、マルクス主義を歪曲したからである。マルクス主義に、もし、何らかの意味があるとすれば、それは二つの命題、つまり、資本主義社会は成熟するにつれて、内部矛盾から崩壊を運命づけられているということ、および、この崩壊(「革命」)は、工業労働者(「プロレタリアート」)によって成し遂げられるということにおいてである。マルクス主義の理論に動機づけられた体制は、少なくとも、これら二つの原則に固執することになろう。ソヴィエト・ロシアにおいて、我々がみるものは何であろうか。それは、資本主義がまだその揺藍のなかにあり、経済的に低開発な国で遂行された「社会主義革命」であり、労働者階級は自らの思惑に任ねられると革命を担うことはできないと考える党が権力を掌握したことである。その後、ロシアの共産主義体制は、その歴史のあらゆる段階においてマ ルクス主義の教義を顧慮することもなく、異議を唱えるものを撃退するためなら、その行動をマルクス主義のスローガンで覆い隠すことさえ辞さず、あらゆることを行った。レーニンが成功したのは、メンシェヴィキの行動を抑制していたマルクス主義的な良心の苛責から、まさに、彼が自由であったことによる。これらの事実を考慮すれば、イデオロギーは、副次的な要因とみなされなければならない。それは、恐らく、新しい支配階級の着想と思考様式ではあるが、支配階級の行動を決定したり、それを子孫に説明するところの一揃いの原則ではなかったのである。一般的に、ロシア革命の実際の経過について知るところが少なければ、それだけ、マルクス主義者の理念に支配的な影響力があったとみなしがちである(43)。


 この見解はメイリアの『ソヴィエトの悲劇』などによってなされた、ロシアはロシア革命によってもたらされたマルクス主義、共産主義イデオロギーとその体制によってそれ以前のロシアとは決定的に切断されている、という解釈と真っ向から対立している。この見解は非常に重要な問題であるので、徹底的な反論を加えていくことにする。


 まず、西側の起源であったマルクスの理論がロシアと違い、西側ではレーニン―スターリン主義の全体主義的暴圧に至るところはなかった、という問題について検討してみる。これはマルクス理論についての根本的な無理解から生じている。といってもパイプスがこのことを知らないはずはないのだから非常に軽視している、といえるのだろう。唯物史観はその歴史過程の中で社会主義革命という決定的な分岐点がある。これは理論の中に大きなルビコン川が流れていて、その川を渡るか、渡らないかということは決定的な問題なのである。ロシアにおいてはいうまでもなく1917年10月にレーニンとボリシェヴィキはこのルビコン川を渡ったのである。それに対して西側では、社会主義革命は起こらなかった、つまりルビコン川を渡った人はいないのである。異なった人物Aと人物Bがいたとして、Aがルビコン川を渡り、Bが渡らなかったとすれば両者の状態を同じだとして比較することは出来ない。Bがルビコン川を渡った場合、Aと別な状態になるかどうかは分らないのである。つまり、このような指摘はそもそも無効である。


 「マルクス主義には絶対自由主義的なところと権威主義的な気質があり、その二つのうちどちらが優勢となるかは国の政治文化というものにかかっていた」これもマルクスの理論を皮相的にしか見ていないように思う。マルクスの言説を額面通りに受け取っているのではないだろうか。これは今まで考察してきたことであり、これからさらに論証していくことになるが、マルクス主義の絶対自由主義的なところは非常に観念的であり、それは頭の中だけにしか存在しないように思われる。これは現実の社会形態に適用されれば、権威主義的にしかならないものではないだろうか。少なくともそのような可能性を考慮しなければならない。絶対自由主義的、権威主義的のどちらかが優勢になるかは国の政治文化というものにかかっているかどうかは分らないのである。本質的にマルクスの理論は権威主義的ということになれば、国の政治文化の違いは関係ないことになる。「ロシアにおいては、その国の家産制的な遺産に適合する諸要素が、マルクス主義者の教義のなかで優勢となった」この問題についても、これはボリシェヴィキについていえることであり、メンシェヴィキやその他のマルクス主義者に対しては必ずしもそうとは言えないのではないだろうか。さらにボリシェヴィキがロシアの家産制的な性格に適合しているように見えるのは偶然であり、本質的には関係ないのではないだろうか。レーニンは少なくとも主観的には、ロシアの伝統を破壊し徹底的にそこから離れようとしたのである。それを実践するために家産制によく似た中央集権的な組織になったのは、ロシアの伝統があってもまたそのようなものがなくても同じだったのではないだろうか。


 「そのような説得、あるいは強制が理念に奉仕しているのか、そうではなく、理念の方がそのような支配を保証し合法化するのに役立っているのかを、確定できないからである。ボリシェヴィキに関しては、後者の場合であったと主張する強力な根拠がある」これはもっとも本質的で重要な論点であろう。確かにこれは確定できることではない。そしてボリシェヴィキの行動は表面上、理念の方がそのような支配を保証し合法化するのに役立っている―ようにしか見えない。私自身これらの問題に知識がなかった頃は、このように考えていたのである。しかし、多くの知識が得られるようになってからパイプスの見解とは逆に、理念とその理念を実現するための理論体系の方に注意が向けられるようになった。つまり、ボリシェヴィキの行動がそのように見えたとしても、マルクス主義イデオロギーを支配のための口実に利用していた―とみなすことは出来ない。ボリシェヴィキは心の底からマルクスの理論を信奉していたのである。これは膨大な資料から疑うことの出来ないものであろう。パイプスの見解はマルクスの理念と(理念だけ見ていたのでは逆に分らなくなる)それを実現するための理論体系、方法論に問題があるためにボリシェヴィキの行動がそのようなものに見えるのではないか、という視点がまったく存在しないように思われる。


 「イデオロギーは、副次的な要因とみなされなければならない。それは、恐らく、新しい支配階級の着想と思考様式ではあるが、支配階級の行動を決定したり、それを子孫に説明するところの一揃いの原則ではなかったのである。一般的に、ロシア革命の実際の経過について知るところが少なければ、それだけ、マルクス主義者の理念に支配的な影響力があったとみなしがちである」本論の立場は、「イデオロギーは副次的な要因とみなさなければならない」ということと真っ向から対立する。イデオロギーこそすべてといっても過言ではないのである。パイプスのイデオロギーに対する見解は皮相的であり、深部の構造への追求が少ないように見える。また、イデオロギーはその主体が絶えず意識して遂行するとは限らない。特に共産主義イデオロギーの場合は経済形態が決定的に拘束されるので、ハイエクの言う集産主義として全体主義的統制が強まっていく―このような体制イデオロギーが形成されるのである。その中に入ってしまうとイデオロギーに対しどのような思考、態度をとろうとも、イデオロギーの通りに行動しなければならないように駆り立てられるのである。パイプスのように反共主義者、あるいは共産主義に否定的な者の中の一部に、イデオロギーを極めて軽視する傾向があるが、否定的に捉えた共産主義とイデオロギー遂行との間の整合性があまり考えられていないのも不思議なことである。

 

 第3節 革命とテクノクラート

 

 ロシア革命研究の中で、中間管理職、テクノクラートなどを中心とした研究は実に少ない。これはマルクス主義、唯物史観がこれらの階級を極めて軽視、あるいは捨象して来たことと関係しているだろう。その少ない研究のなかのひとつが中嶋毅『テクノクラートと革命権力』である。中心課題である労働者自主管理の検討に入る前に革命とこのテクノクラートの問題を考察してみたい。


 1917年10月に革命を遂行したボリシェヴィキが旧体制から引き継いだのは、人口の八割を農民が占めるヨーロッパの後発資本主義社会であった。権力奪取ののちに新体制の基礎を建設しなければならなかったボリシェヴィキは、世界戦争から離脱するまでのあいだの戦争継続と経済復興という課題に直面したが、いずれの課題も帝政ロシアが残した近代工業技術水準を前提しなければその解決は困難であった。そもそもボリシェヴィキが依拠するイデオロギーは、近代資本主義社会が達成した科学技術と工業化をその重要な基礎のひとつとしていた。こうして現実に対処するための緊急の要請と社会主義建設の前提という長期的理念の二つの観点から、ソヴィエト権力は西欧科学技術の応用とそれに立脚した工業化とを追求しなければならなかったのである。19世紀末から20世紀初頭のロシア帝国は、ヨーロッパ諸国に比べれば大きく立ち遅れていたとはいえ、部分的にはすでに高度の工業技術水準に到達していた。ソヴィエト権力が再建しなければならなかったのは、それ自体の維持のために高度な技術的知識を必要とする大規模な工業だったのであり、工業を稼働させるためには、ソヴィエト権力は専門知識を有する技術者や専門家に依存せざるをえなかったのである。


 本書は、1917年のロシア革命から1928―29年のいわゆる「スターリン政治体制」形成期に至る時期の、ソヴィエト権力とロシア技術者集団との関係の変遷を分析すること、それを通じてソヴィエト.ロシアの工業化の方法ないし原理の変容過程を考察すること、を主要な課題としている。ここでとりあげる技術者集団、より広くは専門家集団は、政治的には体制が依拠するイデオロギーとは異質な要素であったにもかかわらず、それが政治体制の維持.発展にとって不可欠の存在であったために、「労働者国家」を標榜する国家の重要な構成部分となったのである。したがってこの集団に対する体制の対応を考察することは、政治革命後の社会構造の変化を分析するうえで重要な課題であると考えられる。一般的にはこのように理解されるとしても、工業化過程における体制と社会構造との関連を分析するうえで、本書のような特殊な課題を設定するに際しては、第一に対象とする時期の意義、第二に技術者集団を考察することの特有の意義、が問われなければならないであろう(44)。 太字強調 筆者


 これは『テクノクラートと革命権力』の序章の出だしである。これはロシア革命に関する研究書のごく一般的な書き出しであろう。これはこの書物に対してだけではなく、ごく一般的な見解、解釈に対する問題提起として考えてもらいたい。この段階で何かおかしいことがあるとは思われないだろう。少なくとも今まではこのような問題設定は一般的な常識だったのではないだろうか。ところが、この段階ですでに訳の分らないような異常な事態が起こっているのである。それが太字強調した部分の論理的な関係である。つまり「ボリシェヴィキが依拠するイデオロギーは、近代資本主義社会が達成した科学技術と工業化をその重要な基礎のひとつとしていた」でありながら「技術者集団、より広くは専門家集団は、政治的には体制が依拠するイデオロギーとは異質な要素であった」ということなのである。これはまったく常識的なことだが、「科学技術と工業化を重要なものとするイデオロギー」が「技術者集団、専門家集団はそのイデオロギーにとって異質な要素であった」などということがあるはずはないのである。もしこのようなイデオロギーが存在していたとしたら、超異常なものであり、1人の人間に向かって「北に行くのと同時に南に行け」と命じているようなものである。


 『テクノクラートと革命権力』の4頁に次のような記述がある「・・・すでに触れたように、ソヴィエト権力はこの社会集団(技術者集団)を体制が依拠するイデオロギーとは異質な存在と認識しながらもそれに依存せざるをえないという特殊な事情を有したために、革命前の政治エリートや経済エリートとは異なって、職能集団としての技術者集団は革命による断絶を免れえたと考えることができる」この依存せざるをえないという特殊な事情、とは一体何だろうか?これは特殊な事情ではなく、当たり前の事情ではないだろうか。つまり、この「特殊な事情」の内容とはどのようなものなのだろうか。それは当然「イデオロギーそのものが持つ事情」である。それ以外にありえないのではないだろうか。ところが、上記の引用文においてはそのようなイデオロギーそのものを問題視するような観点があまりなく、イデオロギーの置かれた客観的な特異な状況が、そのイデオロギーの遂行にとって特殊な事情を与えるようになった、というように解釈できるのである。


 この特殊な事情がなぜイデオロギーに内在するものではなく、あたかも外部から来ているようにみなされるのだろうか。それが本論の特に第7章 マルクス思想の宗教性 、において考察されてきたことである、反作用としての「魔術的因果性」すなわち「増幅された能力転移」である。労働者国家を標榜しているイデオロギーが、技術者集団、テクノクラートを異質な要素として認識する―これは当然のように思われるだろう。しかし、工業化を達成するためには高度な知識、技術が不可欠である。異質な階級であるテクノクラートから高度な知識、技術が労働者に能力転移する―このようなことが社会主義革命の結果として前提にされているからである。すなわち、特殊な事情の原因はすべてこのイデオロギーの側にある。当時のロシアの状況は何の関係もない。農民の比率がどうであろうが、資本主義の発展の度合いがどのくらいだろうが、戦争遂行の最中であろうが、まったく何の関係もないのである。しかし、自らを絶対の真理として認識しているイデオロギーにとって、現実の状況に直面した時、この絶対的な矛盾はどうしようもない事実として目の前に現れる。そこで、その矛盾の理由をイデオロギーの外部に求めざるをえなくなるのである。


 以上のことは「一般的にはこのように理解されるとしても・・・」ということと繋がっている。これはこの著作だけの問題ではなく、これ以外の膨大な文献、さらに広く普遍的にこのような見解が存在していることを意味している。この普遍的な見解の深層には「増幅された能力転移」という反作用としての「魔術的因果性」が存在しているのである。このイデオロギーを信奉する政治権力から技術者集団、テクノクラートは「是が非でも必要とされる存在」であるのと同時に「排斥される存在」として扱われることになるのである。

(41)エレーヌ・カレール・ダンコース『レーニンとは何だったか』石崎晴己 東松秀雄訳、藤原書店、2006年
ドミトリー・ヴォルコゴーノフ『トロツキー その政治的肖像 上・下』生田真司訳、朝日新聞社、1994年
リチャード・パイプス『ロシア革命史』西山克典訳、成文社、2000年
等を参照

(42)レーニン『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』高橋勝之 大沼作人訳、新日本出版社、1999年、8頁

(43)リチャード・パイプス『ロシア革命史』396,397頁

(44)中嶋毅『テクノクラートと革命権力』岩波書店、1999年、1,2頁

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