FC2ブログ

反、反日左翼のためにーマルクス主義は現代の呪詛宗教である

マルクス主義、共産主義は特殊なタイプの現代における呪詛宗教である。そして、現代日本社会に存在する反日左翼の根底にあるものは今でもマルクス主義なのである。このブログでは閉鎖された拙サイト『マルクス主義は現代の呪詛宗教である』の中の主要論文『マルクス主義の解剖学』 『スターリン主義の形成』その他、論文を分割して掲載していきます。

ブログ休止のお知らせ 

体調不良のため、ブログの更新を休止いたします 。論文「スターリン主義の形成」のアップは延期します。 ご了承ください。

スポンサーサイト



category: 未分類

TB: --    CM: 0   

<論文> スターリン主義の形成 1 


 『スターリン主義の形成』

 左翼全体主義の母型であるスターリン主義の形成を考察するのがここでの目的である。 20世紀最大級の謎であり、最も重要な出来事の1つであったソ連体制形成、スターリン体制形成は非常な難問である。 「マルクス主義の解剖学」で得られた知見をスターリン体制形成の分析に適用し、解釈する。これは「マルクス主義の解剖学」の続編であり、用語、概念などもそのまま引き継いで使用するが、章立は第1章から新しくする。歴史の時系列は「マルクス主義の解剖学」第8章の続きとし、第9章、第10章と関連付けて考察される。そこから解釈のさらに難しい現代中国共産主義の問題を考察する。

 第1章 スターリンへの権力転化

 第1節 最大難問へ

 

 ソ連体制、スターリン政治体制の成立、スターリン主義の形成は20世紀史、というより人類史上最大級の謎であり難問である。このことに異論を差し挟む人はいないだろう。これが難問であるのは、その問題設定が極めて複雑であるばかりでなく、何をもってしてその答えとなるのかさえよく分らないところにある。その基本的で常識的な問題設定は次のようなものであるだろう。「社会主義、共産主義の完全な人間の平等を目指した社会が、なぜ今だかつてないような個人独裁の社会に至ってしまったのか」ということである。平等の追求が、不平等の極致へと結果してしまったのはなぜなのか、ということである。単純に考えれば、平等の追求が社会構成員の総意ならば、個人が権力を集中的に握ろうとすれば潰されることになるのは必然だからである。しかし、ソ連の現実はまったくそうではなかったのである。


 ここでの社会主義、共産主義とはいうまでもなくマルクス思想、マルクス主義でいうところのものである。マルクス以前にも共産主義思想は多く存在していた。しかし、それらは資本主義社会の高度な生産力を前提としたものではなかったのである。一般的に「共産主義」という時、それはほとんどマルクス主義でいうところの「共産主義」である。それは人間の幸福を考える時、物質的な富は相当程度必要なものであるという総意があるためと思われる。資本主義はその物質的な富を生みだすことに成功した。しかし、それは資本家とプロレタリアートという極めて大きな不平等を生みだすことになったのである。この不平等をラディカルに是正しようというのがマルクス主義であり、共産主義である。しかしここでは、資本主義が生み出した富そのものは否定されないばかりでなく、必要なものであるとみなされている。つまり、重要なのは「平等」だけでなく「富」あるいは「生産力」も同程度に重要視されている。生産力の乏しい貧困の「平等」では駄目なのである。この世界を実現するために、資本主義社会の中で社会主義革命、共産主義革命が起きなければならない。そのことによって、理想的な平等と富の満たされた共産主義社会に至るだろう。これがイデオロギーとしての「種子」である。


 スターリン政治体制の成立、スターリン主義の形成について考察するとき、一般的によく使われる譬えがある。それが種子と土壌の譬えである。イデオロギーとしての種子がロシアの土壌に撒かれ、それが土壌の状態によって発芽して(革命の勃発)成長していく。そしてやがて大きな大輪の花を咲かせるのである。それがスターリン主義という花である。しかしそれは、その種子から成長して咲くだろうと想定された花(共産主義社会)とは似ても似つかない猛毒を持った食肉植物の花であった―ということである。どうしてこのようなことになってしまったのか。その根本的な理由はどこにあるのだろうか?その理由を考える時、一般的に大きく二つの方向に分かれる。それぞれを少し詳しく検討してみよう。


 Aの立場、 それは本質的に種子そのものが、最初からスターリン主義という花を咲かせるような遺伝子、DNAを持っていたからである。つまり、思想、理論、イデオロギーのどこかに問題があり、想定された花を咲かせるようにはなってはいない。その想定そのものが誤りであり、幻想だったのである。それ以外の要素は、本質的な問題ではなく、副次的なものでしかない。土壌の状態が本来、その種子が発芽し成長していくのに適していなかったかもしれないが、それはスターリン主義という花が咲いたことに対して、それほど大きな意味を持っているわけではない。


 Bの立場、 種子そのものはまったく問題はない。それはスターリン主義という花を咲かせるような遺伝子、DNAを持っていたわけではない。しかし、その種子が撒かれたロシアという土壌は、あまりにも異質なものであった。その種子の発芽、成長にとって適していないばかりでなく、その本来の遺伝子さえねじ曲げてしまうほどのものであった。さらに、発芽し成長していく過程で気象条件が異常なものであった。(第1次世界大戦、内戦、干渉戦争など)そのことによって、本来咲くであろう花とはまったく異質の花が咲くように成長してしまったのである。スターリン主義に至ったのは、土壌や気象条件にその根本的な理由が求められなければならない。


 このAとBを両極として、この間の中間的、あるいは折衷的なさまざまなバリエーションが存在する。例えば、「種子そのものは基本的には正しいが、細部にさまざまな問題があった。経済への過剰な重視、歴史法則決定論、個人の主体性の軽視などなど・・これらの問題と、当時のロシアの状況、つまり土壌の状態が極めて悪かったということとの相乗効果によって独裁体制の素地が作られ、それが結果的にスターリンというマルクス主義を裏切る野心家によって、個人独裁の体制に至ってしまったということである。もし、レーニンが長生きすることができれば、トロツキーが政権を握っていればまったく違った展開になっていただろう」「種子、すなわちイデオロギーの基本となる理念は、誰もが納得する正しいものであるだろう。しかし、それを実現しようとする方法論は非常に問題がある。革命という暴力的手段によっては、そのような理想的な社会は実現できない。ロシアの土壌ということもひとつの要因であるが、このような暴力革命が起きれば、どこでも同じようなことになるだろう。ただし、スターリン主義に至ったのは、多くの偶然が重なったということもある。これはある程度の蓋然性があった、ということであり、その悪い方に転がってしまったといえるだろう」「イデオロギーの基本となる理念は、残念ながら実現不可能なものである。さらにその方法論は決定的に誤りである。そのときのロシアの状況はたしかに悪かったかもしれないが、このイデオロギーにとってはむしろその方が都合が良かったという面もある。ただし、この種子から必然的にスターリン主義に至ったということは言い過ぎであろう。そこにはいくつかの偶然の要素も作用しているからである。ただ、このイデオロギーを信奉する党においては、スターリンがいなければ、また同じようなことを別の人間がするという可能性は大いにありえる。つまり、これは高い蓋然性があったといえるのではないだろうか」。


 これ以外にもさまざまな見解がある。大局的に見れば、Aの立場―イデオロギーを主要な要因とみなすか、Bの立場―ロシアの客観的状況を主要な要因とみなすか、に分かれるわけである。ここで面白いのは、パイプスのように反共主義の側にいても必ずしもAの立場を取るとは限らないということだ。もう1人の代表的なアメリカの歴史家マーティン・メイリアは完全にAの立場をとっている。現在ではスターリン主義をマルクス主義の帰結だと認めるマルクス主義者はほとんどいないだろうから、マルクス主義者、共産主義者、唯物史観支持者は当然Bの立場に立つことになろう。この議論の中で指摘しておきたいことは、イデオロギー(種子)にある程度以上の要因を認めるならば、「重要なのは種子か、土壌か」という論争は不毛だということである。現実の植物の花が咲いた要因を「重要なのは種子か、土壌か」と言って議論する人はいない。どちらも必要条件であることは自明のことだからである。


 ここで本論における立場を明確にしておきたい。ここまでの考察によって、改めて述べる必要はないと思われるが・・・それは当然Aの立場、あるいはそれに極めて近い立場になるだろう。つまり、本論の立場はAとBの折衷的な位置にはならないのである。その立場を次に詳しく論じていきたい。その前にロシアという土壌の問題について、少し述べておきたい。ある意味それは種子が発芽し、成長してゆくための必須の条件であり、それがまず存在しなければならないのは自明のことである。それはロシア史を軸とした考察ということになるが、本論は「イデオロギー→スターリン主義」の解明を主軸とするものである。ロシア史を軸とした考察も重要なものであり、軽視されるべきものではないが、本論では二次的な考察にとどめるものとすることを断っておきたい。


 第2節 イデオロギー遂行決定論

 

 スターリン主義の形成をイデオロギーから導こうとする考察に対して、次のような批判が広範に存在する。「イデオロギーはたしかに重要かもしれないが、歴史のすべてがイデオロギーによって決定されるわけではない。それが真実なら、中世の災厄はすべて聖書から生じてきた、ということになってしまうだろう」。たしかにこれはもっともなことである。歴史のすべてがイデオロギーによって決定されるわけではないことは自明のことであろう。しかし、あるイデオロギーに関わる歴史事象が、それが起こったことに対して並立して幾つかある主要要因のひとつがそのイデオロギーである、と結論することができるのだろうか。このことはイデオロギー論全体にいえることだが、イデオロギーはその定義、理解が難しい概念である。そのためにイデオロギー全体を一般化して論じる傾向があるように思われる。しかし、イデオロギーにも非常な多様性があり、多種多様な性質がある。そのような一般化の結論で片付けてしまうことはかなり乱暴なことではないだろうか。この歴史事象とイデオロギーの関係は、もっと突き詰めて詳しく考察していく必要があるのではないだろうか。


 本論におけるスターリン主義とイデオロギーの関係はまさにこのような題材を提供してくれるといえるだろう。それでは本論における結論を先に述べて、それを中心にこの問題を考察していきたい。本論の立場は「イデオロギー遂行決定論」と呼べるものである。それは次のようなものである。


 イデオロギー遂行の内的、外的条件が満たされ続ければ、必然的にスターリン主義に至る。


 これはほぼAの立場といってよい。ただし、ここにはイデオロギー遂行の内的、外的条件が満たされ続ければ―という条件が付けられている。つまり、種子が発芽してもそれが成長していく過程で開花まで至らないということもあるだろう。土壌の状態や気象条件によって、途中で枯れてしまう、という事態もありえるわけである。そのような場合、当然帰結としての花―スターリン主義は形成されない、ということである。これはある意味、当然のことをいっているにすぎないといえる。「イデオロギー遂行決定論」は種子の遺伝子、DNAはスターリン主義という花を咲かせる構造を持っている、と結論するものである。しかし、現実の種子が発芽しても成長して開花するとは限らないように、イデオロギーが現実の歴史を決定する、という主張ではないことは理解していただけると思う。


 ここで重要なことを指摘しておきたい。それは「イデオロギー遂行決定論」はイデオロギー一般論ではない、ということである。このイデオロギー分析は決してイデオロギー全体に拡張することはできない。それは、このイデオロギーに特化された分析だということである。それはこのイデオロギーがあらゆるイデオロギーの中で非常に特異なものであり、その強度において他に類するもののない究極的なイデオロギーだからである。それは例えば、反作用としての魔術的因果性を科学としてとらえられる―という巧妙な論理性を持っている。これだけでも他に類するイデオロギーは存在しないだろう。これは決して、イデオロギー一般論ではない、ということを再度強調しておきたい。


 イデオロギー遂行決定論はほぼAと同じである。この立場では、スターリン主義という花が咲いた直接要因が種子、すなわちイデオロギーであり、土壌はその間接的な要因となる。AとBの中間的、折衷的な立場においては、Aに近い立場、中間的な立場、Bに近い立場と微妙に異なってくると思うが簡略的に示してみる。Bの立場では、スターリン主義という花が咲いた直接要因が土壌、あるいは気象条件であり、種子はその要因であるものの、歪曲され、利用されてしまった存在である。それぞれを図で示すと次のようになるだろう。なお、ロシア革命、ソ連体制形成に関わる重要人物の思想、心理、行動というものも重要なものであるが、ここでは土壌の要素に含まれるものとみなす。

 Aの立場、(イデオロギー遂行決定論)
土壌(ロシアの客観的状況)→種子(イデオロギー)→花(スターリン主義)


 AとBの中間的、折衷的立場
土壌(ロシアの客観的状況)→花(スターリン主義)←種子(イデオロギー)


 Bの立場
種子(イデオロギー)・・・・・花(スターリン主義)
          ↑   
土壌(ロシアの客観的状況)

 Aの立場(以下、Aと表示)とBの立場(以下、Bと表示)とは真っ向から対立する解釈である。これがスターリン主義を解明するうえで本質的に重要なものであることは、誰もが認めるところであろう。両者の決定的な違いは、マルクス主義、唯物史観が正しいかどうかということに直結するところにある。Bならば、スターリン主義に至ったのは唯物史観の公式とは異なる資本主義後進国ロシアに、偶然にも社会主義革命が起こってしまったから、と考えることもできる。唯物史観を未来に託すことがまだまだ可能なのである。土壌の条件が異なれば、今度こそ社会主義社会、共産主義社会に向かうことができる―そのような希望を持つことができるのである。それに対して、Aは土壌の条件がどのようなものであったとしても、社会主義革命からイデオロギーを遂行していくことは、スターリン主義に至るしかない、と結論しているのである。それは、社会的状況、経済の発展度合い、プロレタリアートの比率、教育を含めた文化的状況等が、ロシアと正反対な社会であったとしても、まったく同じようにスターリン主義に至る、という結論なのである。今まで、このように結論付けられることは意外にも少ないように思われる。現在の一般的な見解は圧倒的にAに近いと思われるが、このように断定することは難しいことなのである。多少なりとも土壌に要因を求める。そこにはある程度の蓋然性が認められるのが通例である。


 ここで必然性と蓋然性の問題について検討しておきたい。特に蓋然性の問題は重要である。というのも「イデオロギー遂行決定論」はいかなる意味においても蓋然性を認めていないという誤解が生ずる可能性があるからである。この問題の中で蓋然性は大きく二つの成分に峻別することができる。この二つの成分を区別することは非常に重要なことなのである。ひとつは土壌が種子に作用して、発芽し開花することの蓋然性、もうひとつは種子が発芽し、成長して開花した花がスターリン主義であることの蓋然性、である。前者を第一の蓋然性、後者を第二の蓋然性と呼ぶことにする。


 まず、第一の蓋然性を検討してみよう。これはA、AとBの中間的立場、Bいずれにおいても、それほど大きな違いはないように思われる。というよりも、これらの立場の違いが蓋然性の評価とは必ずしも関係しないだろう。例えば、2月革命が起こった時点でボリシェヴィキが権力を獲得する蓋然性がどれくらいあっただろうか。これは極めて低く見積もられるだろう。そしてこの蓋然性の評価に、これらの立場の違いは必ずしも相関しないのである。革命後のボリシェヴィキ権力の存続について最大の危機である内戦は、さまざまな側面から検討される問題であるが、その勝敗の帰趨についてこれらの立場における違いはあまりないといえるだろう。現在から見ればボリシェヴィキはかなり有利な立場にいたのである。第一の蓋然性については大きな争点にはならないといえる。それは「イデオロギー遂行決定論」にとっても、同様に蓋然性を認めるものなのである。


 つまり、争点は第二の蓋然性にある。Bはかなり低い蓋然性とみなすのではないだろうか。ここは難しいところで異なった意見もあるかもしれないが、例えば、スターリンの権力獲得過程で最大の問題のひとつがレーニンの死去である。あの時、レーニンが発作で倒れ死去するということがなければ、スターリンは書記長の職をレーニンによって更迭されていた可能性が高い。そうなれば、スターリン主義に至ることはありえないということになる。しかし、Aは第二の蓋然性を必然なものとみなすのである。上の例でいえば、あの時のレーニンの死去は必然であった―ということではもちろんない。ここに必然性を認めれば、それこそ歴史神秘主義になってしまうだろう。ここでは当然このようなことか含意されている―スターリン主義というのは、あのような体制の独裁主義ということであり、それがスターリンという個人が独裁者であったからスターリン主義という名が付けられたのであるが、それ以外の別の誰かが同じような独裁者になり統治した場合は、その誰かの名前が冠せられた00主義となるわけである。それはスターリン主義と同義であり、それに至る必然性という意味になる。このことはBを含めたすべての立場に同意してもらわなければならないことである。このAの第二の蓋然性を必然性とすることは、本論の中核なのでこれから詳論されていくことになる。AとBの中間的、折衷的な立場においては、Bに近いほど蓋然性を低く見積り、Aに近いほど高い蓋然性を認めるという傾向があるのではないだろうか。


 種子(イデオロギー)から花(スターリン主義)を必然のものとみなす、ということは社会科学にとって特異なこと、というより常識的にはほとんどありえないことである。このような複雑極まりない社会事象を、自然科学の法則と同じように扱えるのだろうか―このような問題と繋がってくるのである。しかし、この場合にかぎり自然科学法則と等価の絶対的な基準が措定できるのである。それはこのイデオロギーが生物学的基本能力を大きく超える能力を要請しているということであり、もうひとつはそのことをイデオロギーを遂行する主体が決して理解することができず、まったく逆にその能力を獲得した結果の社会が到来することが科学である、歴史的必然であるという強固な信念を持っているということである。そして次に重要なことは、そのイデオロギーを遂行する主体の周りの人々、それに関係する人々、さらに思想的に関係する人々も同様にそのことを理解せず、イデオロギーの示す社会を歴史的必然である、あるいはそうなるかもしれないと考えていることである。これはいわば土壌に種子が植えられる契機となる。これはイデオロギーを遂行する権力主体がその権力を獲得し、維持していく上で重要な要素となるのである。


 「マルクス主義の解剖学」はこの種子の遺伝子、DNAの解析であったということができる。しかし、唯物史観を反証することができても、種子が成長し開花した花がスターリン主義であると自動的に導きだせるわけではない。だが、「マルクス主義の解剖学」を前提とした考察でなければ、スターリン主義に至る必然性を解明することは決してできないのである。これまでの考察を基礎として、この最大難問を追及していくことにしたい。


 第3節 スターリンの謎

 

 社会主義、共産主義の思想家、革命家、政治家の中で筆者がもっとも理解しにくく難解な人物が3人いる。1人は本論の中心であるマルクスその人である。もう1人がソ連の体制を確立したスターリン。そして3人目は何とゴルバチョフである。スターリンの難解さとゴルバチョフのそれとは裏表の関係にある。この2人に共通することは、自分の本心を隠し続ける能力である。それに比べれば、レーニン、トロツキーはまだ理解しやすい。スターリンの本意は一体どこにあるのか―歴史家にとっても極めて理解することが難しいようである。


 スターリンもレーニンやトロツキー、その他ボリシェヴィキの有力メンバーと同じく幼少の頃から非凡な能力を発揮していた。群を抜く学力、速読による大量の本の読破、詩作、音楽などの芸術の分野でも才能を発揮している。それでいながら、ギャング集団のリーダー的な存在でもあった。出身地、グルジアにおける神学校や社会に対する強烈な反抗心は、マルクス主義に出会うことによって、革命家への道を歩ませることになった。そして、ボリシェヴィキに入りレーニンのもとで頭角を現すようになったのである。もっとも急進的なマルクス主義集団であるボリシェヴィキに入ったということは、スターリンもまた急進的マルクス主義者であったということに間違いない。ロシアにおける社会主義革命は、スターリンにとってもまた最大の目的であったのである(1)。


 ここで疑問はまた、パイプスのそれに戻っていく。パイプスはボリシェヴィキの目的はロシアに専制体制を復活させることであった―マルクス主義はそのための口実に利用されたのである―といった。このことへの反論は本論において幾度もなされてきた。ボリシェヴィキは10月革命以前も、以後もマルクスの教説を文字どおり実行しようとしたのである。戦時共産主義の強圧的で、以前にもました専制政治になったのは、むしろその結果なのである。それでは、スターリンがボリシェヴィキ―ロシア、ソ連共産党の中で、さらに個人独裁として権力を握れるようになったのは、スターリンがマルクス主義をそのための口実として利用したからなのだろうか?それともスターリンは本当にマルクス主義を遂行し、それに奉じていると考えていたのだろうか?


 スターリンの謎として提起できるものは数かぎりなくあるだろう。まず、なぜレーニンの後継者として、スターリンは登場することができたのだろうか。10月革命と内戦の勝利という最重要事に貢献したレーニンに次ぐ人物は、トロツキーであることは明らかであった。スターリンがマルクス主義をそのために利用したとすれば、それはどのような利用であったのだろうか。それともそれ自体がマルクス主義を遂行するうえで最善であると考えたのだろうか。それともそれは、マルクス主義、共産主義の遂行とは無関係な党内の派閥闘争の結果なのだろうか。トロツキーはなぜ、スターリンをあれほど軽視することができたのだろうか。スターリンとの権力闘争において、なぜあのように無気力な部分があるのだろうか。このスターリンの謎と対なってトロツキーの謎も存在するのである。それ以前に、もっと根本的な問題がある。それはなぜ党内派閥闘争などというものが生じるのだろうか。このようなものはマルクス主義、共産主義の中にはまったく存在しないもののはずである。しかし、それ以前にレーニンという強力な1人の指導者によって、社会主義革命が遂行されたということ自体、このイデオロギーにとっては想定外の事である。


 もちろん、スターリンに関わる謎の最大のものは、1930年代にあるだろう。見世物裁判と数百万人が銃殺され、強制収容所送り、強制移住になった大テロル期はその頂点である。それでいながら、ソ連国民から神のような存在として崇め立てられた指導者なのである。それは恐怖による支配だけでなく、心の底からそのように思われていたという事実がある。ここにも深い謎がある。スターリンは、このようないまだかつてない独裁者になることを、一体いつから意識していたのだろうか?それは彼の人生において最初からの目的だったのだろうか・・・それははっきり意識していないまでも、チャンスがあれば手にしたい目的だったのだろうか。しかし、マルクス主義、共産主義の目指すものは、そのようなこととはまったく正反対なものなのである。このはるかな隔たりをどのように止揚していたのだろうか。そしてまた、粛清されていったボリシェヴィキたちは、この隔たりをどのように考えていたのだろうか。1930年代の問題は第4章から検討することとして、ここでは1920年代のスターリンの権力獲得過程を解明していくことにしたい。


 

(1)サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ 『スターリン 青春と革命の時代』 松本幸重訳 白水社 2010年


category: 未分類

TB: --    CM: 0   

プロフィール

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

ブログ訪問者数

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード