反、反日左翼のためにーマルクス主義は現代の呪詛宗教である

マルクス主義、共産主義は特殊なタイプの現代における呪詛宗教である。そして、現代日本社会に存在する反日左翼の根底にあるものは今でもマルクス主義なのである。このブログでは閉鎖された拙サイト『マルクス主義は現代の呪詛宗教である』の中の主要論文『マルクス主義の解剖学』 『スターリン主義の形成』その他、論文を分割して掲載していきます。

<論文> マルクス主義の解剖学 15 

 

『マルクス主義の解剖学』


 第8章 現実化したマルクス主義


 第7節 労働者自主管理とボリシェヴィキ

 

 レーニンは大衆を動員して権力を獲得するために、大衆の根深いアナーキスト的心理と衝動に訴える必要があることを直感的に把握していた。社会主義革命のプロパガンダが労働者をはじめとする大衆に受け入れられれば、自らの権力獲得に絶大な力となることをよく理解していたのである。この場合、労働者側の意識、心理というものも重要になってくる。例えば現代において先進資本主義国の労働者にこのようなプロパガンダを説いたとすればどのように受け取られるだろうか。もちろん、現代においては現存した社会主義国の失敗というものが広く知られているわけであるが、それ以前の時期においてもこの時のロシアほど受け入れられることはないのではないだろうか。労働者の立場からすれば、社会主義の理想というものは常に心惹かれるものに違いない。しかし、労働者自身が経済を運営するということが、逆にどれくらい重荷になるかということも、明確に理論として理解していないとしても、直感的に感じていることではないだろうか。ロシア革命時においても、ロシアの労働者大衆とロシア以外のイギリスやフランス、アメリカ、ドイツの労働者とでは社会主義革命のプロパガンダに対するとらえ方はかなり異なるのではないだろうか。つまり、この時のロシアの資本主義段階の未熟さ、文盲率が高く農民から工業労働者への大量の移動があったということ、それらがボリシェヴィキの社会主義革命プロパガンダに対する免疫力の欠如となり、ボリシェヴィキの権力獲得に好都合だったのである。そうなると、社会主義革命が起り、社会主義社会に向かうための条件としてマルクスが述べたのと正反対に資本主義段階の未熟さはむしろ必要なことだったのである。


 「革命政権を維持するために、革命直前まで自ら説いていたアナルコ・サンジカリスト的、平等分配主義的な理念をおしげもなく捨てさせたのだ。それは思想家にとっては背信であり、矛盾であったに違いない。しかしながらこの矛盾、この背信は、ロシヤの経済発達の段階と、革命をとりまく国内外の客観的条件自体が否応なしに強いた矛盾でもあり、背信でもあったといえよう(48)」。ここにこそもっとも重大な問題点がある。勝田吉太郎は左翼が全盛だった時期から保守を貫き左翼思想には批判的であった。それでも、このレーニンの矛盾と背信はこの時のロシアの経済発達の未熟さ、革命をとりまく国内外の客観的条件が原因であったとみなしているのである。これこそボリシェヴィキが、革命直後に社会主義、共産主義を直ちに実現しようとして失敗し、それを客観的条件のせいにするために「戦時共産主義」という言葉を使うことを正当化してしまう。本論はこれらの客観的条件は矛盾と背信の理由ではありえない―このように結論しているのである。それはこの時、ボリシェヴィキが行った労働者自主管理の形態をそのまま現代にもっとも条件の良い状態で再現する「社会主義窮乏化理論」の実験によって証明することができるのである。本質的には頭脳労働量の爆発的増大によって経済運営の麻痺は引き起こされる。この時のロシアの客観的条件はその事態をさらに悪化させたとはいえるだろうが、この客観的条件がはるかに良いものだったとしても、その結果は何も変わらないのである。「こうした革命の危機的状況に面して、党内には政治的信念にもとつく派閥の抗争が生起した。この党内抗争は、これまで党が経験したいかなる軋櫟よりもずっと深刻であった。そこには、その後数十年にわたって荒れ狂うことになる党内外の論戦や陰惨な粛清の種子が播かれていた」。

    
 ここで以前にパイプスの主張「ボリシェヴィキはロシアの伝統的な専制体制を復活させるために、マルクス主義、共産主義思想を利用したのである」を検討したことを再度、考察してみよう。例えばクーデターによって権力を奪取するために、労働者、兵士たちの支持を得ようとした。そのための方便としてマルクス主義、共産主義思想を利用したとするならば、革命後に労働者の自主管理を認めた、ということをどう説明するのだろうか。これは完全にマルクス主義、共産主義の論理に沿った政策を遂行しているのである。この時点で、ロシアの伝統的な専制体制を復活させようという意図があったのならばこのような政策はしないはずである。もっと穿った見方をして、労働者自主管理は失敗するはずだから、そのあとでそれを口実として専制体制を復活させようということを意図していた、というのは余りにも非現実的であろう。つまり、革命直後の時点においてレーニンとボリシェヴィキは唯物史観の教説を文字どおり実行に移したのである。労働者自主管理はプロレタリアート独裁に向かうための当然の道筋である。このことはかぎりなく重要である―今までレーニンやボリシェヴィキに対して官僚制による一党独裁が厳しく批判されてきた。そのような批判は革命直後に労働者自主管理が導入され、それがどういう事態になったかということをほとんど考慮していないことが多い。戦時共産主義期においての最終的な結果とマルクスの理論の相違点のみが比較され強調される。このような批判は何の意味もなさない。


 ロシア革命、ソ連体制形成のもっとも重大な局面は、ほとんど戦時共産主義期にあるということなのである。さらにいえば10月革命直後の数ヶ月に集約されるといっても過言ではない。ここですべての結果が出てしまっているのである。マルクスの理論、唯物史観は労働者自主管理が失敗するなどということは微塵も考えてはいない。労働者自身が生産力を所有し管理運営していくことによって、資本主義社会の無駄や非合理性が克服され、さらに能率の高い合理的な生産が達成されるからである。レーニンとボリシェヴィキはこのことに何の疑いも持っていなかった。だからこそ社会主義革命を起こしたのである。もしこのことにわずかでも疑いを抱いていたら、革命などというすべてをかけた賭けに出ることは決して出来ないだろう。このような事態に導いた思想上、理論上の主役はマルクスであることにまったく反駁の余地はない。


 ここでさらによくなされている批判、「ロシアの資本主義段階は、まだ未熟なものであった。マルクスの想定は資本主義が発達し、資本の一極集中が進み、一方で貧困が増大する。この二極化が極点に達したときに革命が勃発するのである。ロシア革命のような社会主義革命の形態を想定してはいなかった。したがって、レーニンの行動は勇み足でしかなく、この結果の責任をマルクスに帰すことは無理がある」を検討してみよう。よく知られているように、10月革命はレーニンの強力なイニシアチブによって達成されたものである。メンシェヴィキは当然のごとくこの段階における社会主義革命は時期尚早であるとして反対していた。レーニン以外のボリシェヴィキのメンバーもこの考えに同調するものが多数を占めていたのである。スターリンでさえ最初の時点では蜂起には反対であった。当然、レーニンにしてもマルクスの社会主義革命の道筋とこの時のロシアにおける状況とは違うことを認識していた。しかし、このチャンスを逃したらもう二度と革命の時期は巡ってこないと考えたのである。レーニンがこのように考えた動機にはマルクスに依拠する大きく二つの理由があったのではないかと考える。


 ひとつには、『共産党宣言』ロシア語版、序文でマルクスはロシアの社会主義革命の可能性に触れて、この革命が他の先進資本主義諸国の社会主義革命への導火線となり、国際的な社会主義革命が達成される―そのような展望を示しているのである。まさにレーニンが思い描いていた革命の展望はこのような国際的な社会主義革命であったことは、よく知られていることである。10月革命後も社会主義革命の輸出についてレーニンは執拗に追及したのである。


 二番目の理由、これが最大の問題である。マルクスの示した唯物史観の展望はもっとも根本的な前提に「社会主義、共産主義は資本主義よりも生産力が上である」ということがある。資本主義がまだ未熟な段階であったとしても、それよりも生産力が大きな社会主義、共産主義が導入されれば、生産力は増大し続けることが可能である。これははっきり意識するまでもないまったく当たり前の認識だったのである。このような認識をもたらしたものこそ、マルクスの壮大な経済学を含めたイデオロギー操作であることは、今まで論じてきたとおりである。このことこそ革命の展望よりもはるかに重大な問題なのである。真実はそれとはまったく逆であり「社会主義、共産主義の生産力は資本主義よりもはるかに下なのである」。ロシア革命がマルクスの想定した革命の展望とは異なるものであったとしても、ロシア革命を勃発させ、推進させた根本的な動因はマルクスに帰せられることに何の疑いの余地もない。


 「はたして労働者各人が、いかに国家を支配するかを知っているであろうか?実際的な人間なら、それがおとぎ話であることを、わきまえているのだ」。「あらゆる国々の歴史は」とレーニンは説いている。「労働者階級がそれ自身の独力だけでは組合主義的意識しか、つまり組合に団結し、雇傭主と闘争し、労働者に必要なあれこれの法律の発布を政府からかちとる、などのことが必要だという確信しかつくり出すことができないことを証明している。これに反して、社会主義の教説は、有産階級の教育ある代表者、インテリゲンツィヤによって生み出された哲学的・歴史的・経済的理論のなかから成長してきたのだ」。社会主義思想を生み出した主要な思想家たちの中にプロレタリア階級出身のものはほとんどいない。それは有産階級のインテリゲンツィヤによって生み出されてきたものであることは歴史の事実である。しかし、レーニンがこのように言ったとき自分の置かれていた立場、そのときのロシアの状況がこれら先行する思想家たちのいかなる立場とも、さらに革命前の自分の置かれていた立場とも、まったく異なるものになっていたということをどれほど自覚していたのだろうか?すでに、レーニンとボリシェヴィキはルビコン川を渡っているのである―此岸にいるのではなくすでに彼岸への橋を渡り始めているのである。社会主義革命はすでに現実のものとなったのであるから、社会主義の教説の通りに事態が進行するかどうかが最重要事である。しかし、現実にはまったくその通りにはならなかった―プロレタリアートは主役にはならなかったのである。そのことの理由として以上のようなことを持ち出すというのは信じ難い自己欺慢である。これでは社会主義の教説が誤りであったということを自ら認めているようなものである。社会主義、共産主義思想とは一部のインテリゲンツィヤが労働者階級に投影した自己の観念、願望、イメージでしかないことを暴露しているようなものである。


 ところが、革命という賭けに出てそれが成功した以上、もう絶対に後戻りは出来ないのである。ボリシェヴィキは権力を維持していく以外に生き残る道は残されてはいない。このことは肝に銘じておく必要がある。クーデターが成功し権力を獲得し、立憲民主党、貴族、ブルジョワジーらを直ちに弾圧、追放し、憲法制定議会を強制解散し、ニコライ二世とその家族を抹殺し、内戦によってロシア全土を戦場と化し、膨大な犠牲者を生み出しながらその権力を保持することに成功したのである。それはすべて社会主義、共産主義の大義のためであった。これが根本的に誤りであったなどということになれば、レーニンとボリシェヴィキは大衆に、そして味方である共産党員からも八つ裂きにされてしまうだろう。しかし、いまや社会主義の正当な主張をする者を徹底的に押さえ込まなくてはならなくなったのである。


 プロレタリアートに対する独裁をプロレタリアートの独裁と詐称せざるをえなくなっている。この時からボリシェヴィキの権力主体が「プロレタリアート独裁」といった時には、それは実質的には「プロレタリアートに対する独裁」を意味するものでしかなくなったのである。そうしなければ、自らが存在することすら出来なくなる―これはまったく震撼すべきことである。この状態は誰がどう見てもプロレタリアートの独裁などではない。民主主義、言論の自由という見地からすれば、もはや風前の灯火である。誰もが当然と思えるような状態をその通りに表現すると、権力は存在することが出来なくなってしまう。それは権力にとっての破滅を意味している―しかし、権力は秘密警察という強力な権力装置をもっているのである。秘密警察による言論弾圧、民主主義の抑圧は当然の論理的帰結であることがわかる。そしてさらにイデオロギーの理念からその矛盾は増幅されるだろう。社会主義、共産主義とはまさに民主主義の徹底した形態だからである。ボリシェヴィキの権力主体はいかなる強制力を持ってしても、その強制力で言論弾圧、民主主義が抑圧されているなどということを表現させてはならない。それらは十分に満足させられている、ということでなければならないのである。それは単に上辺だけのものであってはならないだろう。心の底からそのように思いこませなくては不十分である。社会構成員の心の底まで制御しなくてはならない―全体主義への道は開かれたのである。(49)


 第8節 第10回党大会の紛糾、個人独裁の萌芽

 

 ここでさらに重要な分岐点となった第10回党大会を検討してみよう。
 

 大会の討議の場でレーニンは、内戦の終結とともに軍隊方式の中央集権化は打ち切られ、党内民主主義が復活するというブハーリンの約束に保証を与えた。しかし、これはレーニンの本当の目的からすれば前置きでしかなかった。「いまや反対論に終止符を打ち、蓋をするときが到来した。反対論はもうたくさんだ!」と彼は言明した。


 大会の最終日、レーニンは突然、二つの新しい決議案を提出した。「わが党の内部の労働組合主義的・無政府主義的逸脱」および「党の団結」に関する決議案である。前者は労働者反対派のかかげる労働組合による経済運営という主張を「党員であることと矛盾する」労働組合主義的異端の復活として公式に断罪する決議案であった。同派の考え方は、マルクス主義にもとるということだが、その文言が如実に示すとおり、本当のところはマルクス主義ではなく、以下に引用するレーニン自身の主張にもとるとされているのである。


 労働者大衆に不可避のプチブル的な迷い・・・・・および労働組合的な狭量さと偏見への退行に対抗できるプロレタリアートと労働者大衆の先兵を結集し、教育し、組織できるのは、唯一、労働者階級の政党、すなわち共産党のみである。


 第二の決議は、労働者反対派や民主的中央集権派など、独自の見解をもつグループを、それらに属する者は即時に党籍から除くという措置をとることによって、すべて解体させるものだった。さらに、1924年1月まで公表されなかった条項(第七項)では、中央委員会にたいし「規律違反または分派主義の復活ないしそれを容認する動きがあった場合は、除名を含む党の罰則全般を適用する」権限を与えており、しかも罰則は当の中央委員会のメンバーにも適用されることになっていた。


 決議は圧倒的多数の賛成により採択された。カール・ラデックの次の言葉は、このときの大会の雰囲気を端的に表わしているが、ラデック自身を含む多くの人びとのその後の運命を考えると、どことなく予言めいてもいる。


 この決議案に賛成票を投じるにあたって、私はこれがわれわれに向けられる刃になりうることを感じるが、それでもなお、私はこれを支持する・・・・・いざというとき、中央委員会が必要と認めるなら、相手がわが党の最良の同志であろうと、中央委員会は最も厳しい措置をとるがいい・・・・あえて言うなら、中央委員会が過ちを犯したところでかまわない!いまここに見られる迷いにくらべれば、そのほうが危険は小さい。


 第10回党大会が閉会すると、レーニンはすぐさま、批判派を迎えうつ格好の武器とした労働組合および党内民主主義に関する決議を少しも重視していないことを明らかにした。だが、党内部の「分派主義」を禁じた条項については、あくまでもこれを実施する決意であり、その決意の固さはクロンシュタット蜂起の鎮圧に武力を行使したときと同じだった。そのあとの1921年から22年にかけて行なわれた粛清で、全体の3分の1にのぼる党員が除名されたり脱党したりした。労働者反対派の指導者たちは、自派の見解を保持する権利を放棄することを拒否し、コミンテルンに訴えることまでしたが、それも徒労に終わり、結局、1922年3月の第11回党大会で再びレーニンと大会から弾劾され、その「分派」の指導者のうち2名はその後、党を追放された(68)。太字強調 筆者


 「いまや反対論に終止符を打ち、蓋をするときが到来した。反対論はもうたくさんだ!」このレーニンの叫びは、この論争がいかに深刻であり、まったく出口のない袋小路に迷い込んでいることがわかる。新経済政策を導入するにあたって、党の団結は危機的状況になる恐れがあった。どんなことをしてでも党の団結は保持されなければならない。これがばらばらに解体されていけば、待っているものは破滅だけである。


 労働者反対派の考え方は、マルクス主義にもとるということだが、本当のところはマルクス主義ではなくレーニン自身の主張にもとるとされているのである―この一文に対する解釈はもっとも根源的なものになるだろう。これは決して文字どおりに受け取ってはならない解釈なのである。マルクス主義にもとるとはいかなる意味なのだろうか。労働者反対派の論理はまさにマルクス主義そのものではないだろうか。それではレーニンがまったく誤っているということになるのだろうか。このことの根本は今まで検討してきたようにマルクスの理論そのものの矛盾の現実化なのである。プロレタリアートに対する魔術のような能力の向上を大前提としている論理の絶対確実な帰結なのである。労働者反対派の論理は完全な兼任を達成できる能力を前提とした場合のみ有効となる。シリャープニコフは絶え間なく構築され強化されていく官僚体制を前にして「誰か個人を更迭する、というような問題ではない。このシステムそのものをまったく別のものに変えなければならない」といったが、まったく別のものに変えなければならないのはシステムではなく「まったく別の人類に」でなければならない、などということを夢にも思うことは出来なかっただろう。


 労働者反対派、民主的中央集権派を事実上禁止した決議は圧倒的多数の賛成により採択された。独自の見解を持つグループ、それらに属するものは即時に党から追放されるのである。そしてこの決議は中央委員会のメンバーにも適用されることになったのである。結果的に、スターリン独裁への道を切り拓いたこの分派禁止の条項は、圧倒的多数に支持されたというこの事実を最大限に重視しなければならない。これはどれほど強調しても足りないくらいである―この決議は圧倒的多数に支持されたのである。以下のラデックの言葉はまさにこの圧倒的多数の意思を代表している。これは、どれほどこの時のボリシェヴィキの置かれた状況がすさまじく閉塞されたものであるかがうかがい知れる。この根本的な理由はどこから来ているのだろうか?ロシアの経済発展、社会がまだ未熟だったから―プロレタリアートの数が少なかったから―世界戦争のただなかで起こった革命だから―内戦と干渉戦争があったから―国際革命が引き続いて起こらなかったから―今までなされてきたロシア革命の失敗に対する考察は、本質からまったく外れている。すべてはマルクスの理論、唯物史観の根源的な誤謬からもたらされたのである。


 「労働者大衆に不可避のプチブル的な迷いおよび労働組合的な狭量さと偏見への退行に対抗できるプロレタリアートと労働者大衆の先兵を結集し、教育し、組織できるのは、唯一、労働者階級の政党、すなわち共産党のみである」これがレーニンではなくスターリンが言ったとしてもまったく違和感はないであろう。完全な二枚舌論理であることは明白である。これは労働者階級の政党などではなく、労働者階級を支配するための政党である。さらに「労働者階級の政党、すなわち共産党のみである」の所を「強権的な支配システムをもった資本主義大企業」に置き換えてみてもまったく成立するだろう。それでも共産党よりはまだ人間的であり、人権に配慮するようなイメージがある。そしてこの一文は何度となく言われてきたように、マルクスに反するものである―このようにみなすことは絶対に出来ないということである。マルクスの表面上の言辞の問題では、もはやまったくなくなっている。マルクスの理論、唯物史観を徹底的に遂行することによって、この事態は不可避的にもたらされたのである。そして、この事態の深刻さはその成員の全員が問題の本質はどこから来ているのか、ということを決して自覚することが出来ないということであり、自らが信奉するイデオロギーに忠実であればあるほど、この矛盾の拘束は絶え間なく強くなっていくということなのである。もうここからは余程の事がないかぎり逃れることは出来なくなっている。ある譬えになぞらえれば、このイデオロギーが支配する領域は巨大な蟻地獄になっているのである。いったん、その中に入ってしまうと何をしても、何もしなくても下へ下へと滑り落ちていくことになる。その先に何が待っているかは、これからの解釈の課題となるだろう。


 ここで権力と民主主義の関係について考察してみたい。ロシアで初めて行われた選挙によって選出された憲法制定議会はボリシェヴィキが多数派にならなかったということによって、ボリシェヴィキの手で強制解散させられた。自然発生的で直接民主的要素の強いソヴィエトは、そのあまりの多数者による会議によって、有効な政策などを示せるはずもなく、次第に有名無実なものになっていった。ここでも労働者自主管理と同様な能力問題が生じている。ソヴィエトの決定は実質的にはボリシェヴィキ・・・すなわち共産党の決定になっていったのである。議会制民主主義を徹底的に排斥したボリシェヴィキにとって選挙などというものは眼中にはなかったのである。党外の民主主義はほとんど圧殺された。そして、党内民主主義も分派禁止によって窒息させられていったのである。


 党の決定、意思にもとるとされている見解、方針というものは決定的に排斥されることになったのである。しかし、この党というものはいかなるものなのだろうか?レーニンはこの時、これをどのように考えたのだろうか。レーニンが権力の座にあったときは、今までの経緯から圧倒的多数に支持されてきたのであるから、レーニンがその党と同一のものであると自他ともに認められていた。そのことにより、これは自分自身だと考えていたのだろうか。しかし、個人の権威に重点を置くのは、そもそもマルクス主義、唯物史観にまったく反することである。この時の状況から、これらの事を深く考えるいとまはなかっただろう。しかし、生身の肉体をもった個人を離れたところにある抽象的な「党」などというものは存在しない。それは必ず具体的な個人、あるいは個人と個人との関係によって生ずるものである。


 例えば民主主義の原則である「多数決の原理」によって、党の方針、見解を決定するということを考えてみよう。ある二つの方向に見解がわかれた場合、それを決定するために多数決によってひとつの見解を選ぶ―それが党の見解となるわけである。投票の結果、6対4である見解に決定された。そうすると4割の党員は党の見解にもとることになり、党から追放されてしまうことになったとする。さらに次に、別の議題が同じように二つの方向に見解がわかれ、多数決によって党の方針が決定される。少数派は党から追放される―これを繰り返していけば最後にほんの数人しか残らないことになってしまう。これはまったく馬鹿げた話である。このように見解の多様性、異なった意見を尊重するということは、民主主義のもっとも重要な原則である。これがなければ民主主義は成り立たない。―以上の事は純論理的に考えた場合の極論である。現実の「分派禁止」は党の見解にもとるとされたグループが政綱を作るなどして、組織化された場合に適用されるものである。しかし、この決議によって反対意見を持つものの活動は極めて制限されるだろう。反対意見を持つ者が何人か集まれば、それだけで分派活動をしているとの嫌疑をかけられるだろう。


 結論からいうとそれはこのようなことを意味しているのではないだろうか。それは党と同一化された個人が存在し、それ以外の全員がその個人に服従しなければならない、ということである。その個人とはどのように決定されるかはまったく未定であるが、しかし絶対確実にいえることはその個人が存在しなければならない、ということである。なぜ、個人でなければならないのだろうか?もしそれが複数存在していたとすると、その中で見解の相違が生じたとき、まったく収拾がつかなくなってしまうことは一目瞭然である。見解の違う2人の指導者がいたとすれば、それぞれにつく党員によって二つの大きな派閥が生まれるだろう。どちらが党の見解なのか―それを決める絶対的な基準は存在しない。先に分析した民主主義の「多数決の原理」を使えば、少数派は多数派に服従するか、党から追放されるしかない。党からの追放は党の団結、保持に致命的な影響を及ぼすだろう。少数派が多数派に服従するということは、結局は1人の個人に服従しなくてはならないという結果になるのである。これらはすべてこの「分派の禁止」によってもたらされた結末なのである。まさにレーニンは個人独裁へのレールを敷いたのだといえるだろう。


 「少数派が多数派に服従するということは、結局は1人の個人に服従しなくてはならないという結果になるのである」このことはにわかに理解し難い逆説であるので詳しく論じてみよう。この第10回党大会の決議においても「多数決の原理」は守られていた。レーニンはこのような党内民主主義の破壊を決して考えなかったのである。このことからスターリンとレーニンは根本的に異なる―レーニン擁護者からのこのような反論が存在する。しかし、「多数決の原理」を守るだけでは民主主義ではないのである。先に述べたように見解の多様性、異なる見解を許容することが重要である。「分派禁止」はこのことを著しく制限する。それはいったん「多数決の原理」で決められたことには従わなくてはならないという強い要請から来ているのである。決められたことに反するいかなる活動ももはや出来なくなるのである。議会制民主主義においても当然、決定されたことには従わなくてはならないが、そのあとで反対者が会議を開き組織を作るということに対して、いかなる禁止条項も存在しない。集会、結社の自由は保障されているのである。(個別の党内において、特殊な事例はあるかもしれないが)もしそれをすれば、議会制民主主義も破壊されてしまうだろう。


 純論理的に考えてみよう。あるグループで多数決によって議題を決定していくことにする。そして同じような「分派禁止」条項が存在する。当然、議題はひとつではない。特に社会が安定しない状態では決めなければならない重要な議題は多数存在する。まずAという議題が二つの意見にわかれ、投票によって決定する。6対4で多数派が勝利し、少数派はそれに従わなくてはならない。しかも少数派はお互いに組織をつくることを禁止されている。組織をつくる権利があるのは勝利した多数派だけである。次にBという議題が生じ、また二つに意見がわかれた。同じく多数決によって決定される。6対4で多数派が勝利し、少数派には「分派禁止」条項が適用される。しかし、この時A+Bにおいて、両方の議題に多数派になった者、Aのみに多数派になった者、Bのみに多数派になった者、両方に少数派になった者の4グループに分かれる。この時すでに、両方の議題に多数派になった者は全体の中では少数派になっていたのである。しかし、組織化できる権利をもっているのはこのグループだけである。このようなことをA、B、C、D、E、Fと続き最後にZになったとき、すべてに勝ち残った1人がいるだけとなった。組織化できる権利をもっているのはこの1人だけである。それ以外の全員は組織化する活動をすれば、AからZまでの議題のどれかの「分派禁止」条項に抵触し、グループから追放されることになる。つまり、一方で「分派禁止」のような民主主義を抑制する要素があると、「多数決の原理」はむしろ個人への権力集中、さらに個人独裁への推進装置になってしまうのである。これを「分派禁止の権力集中メカニズム」と呼ぶことにする。


 これは論理的に考えられたひとつの例であり、もちろん現実はこの通りにはならない。しかし、この「分派禁止」によって個人への権力集中、個人独裁へのベクトル、力学が生じることは確実なのである。これはこの条項が決議されたときに、それに関わった人々が想像する以上に強力なものである。いったん確立されたこの条項はそう簡単には変えることは出来ないのである。そして根本的に問題なのは、この条項が決議された要因であり、この党内民主主義の自殺ともいうべき条項が決議されたのは、党内民主主義の正式な手続きによってだということである。これらを総合したとき、個人への権力集中、さらに個人独裁はこの決議に参加したほとんどの党員の合意だったということになってしまうのである。これは意識されていなかったとしても、深層心理においてそのようなことが形成されていた―とみなすことができるのではないだろうか。スターリンはこの時はまだ一政治局員であり、この決議にはそれ以上の関わりを持ってはいない。


 この「分派禁止」を決議させた要因とは、ボリシェヴィキを取り巻く厳しい外部状況だとみなされることがある。それと関連して、レーニンは「分派禁止」を一時的な非常措置として考えていたはずである、という見方も存在する。しかし、このことの根本的な直接の要因は労働者反対派、民主的中央集権派などとの内部の意見の対立によるものである。ボリシェヴィキにとってもっとも危機的な状況であった白衛軍との内戦は、1920年秋にはほとんど勝利が確定した。内戦の時にはこのような「分派禁止」のような条項は出てくることはなかったのである。内戦に勝利しボリシェヴィキの状況が好転したときに、逆に内部の対立が表面化してきたのである。つまり、外部状況が安定すると内部状況が不安定になったのである。これは外部状況が不安定な時には、全員がそちらに集中していて内部の問題に目を向けている余裕はない、というのが理由であろう。今まで検討してきたように、この内部対立はマルクス主義、共産主義イデオロギーの原理的矛盾から生じてきたのである。このことによる分裂を押さえ込むために「分派禁止」は決議されたのであるから、このイデオロギーを放棄しないかぎりこの「分派禁止」が変更されることはない―このようにみなして間違いはないのではないだろうか。しかし、このイデオロギーを放棄するということは、資本主義に戻るか、さもなければもっと昔の生産体制へ戻るしかない。それは絶対に出来ないことなのだから、「分派禁止」が変更されることはほとんどないということになってくる。すなわち、「分派禁止」は非常措置ではなく、永続措置になってしまうのである。そうなると、個人への権力集中、さらに個人独裁への道は完全に姿を現したといえるのではないだろうか。


 スターリン体制形成の道筋は、ここまでだけでも実に複雑なものである。スターリンの意図とはまったく独立に分派禁止はレーニンによって提出され、党内民主主義の正式な手続きによって決定されているのである。共産党独裁体制は個人独裁か寡頭政治であり、そこでほとんどの重要な決定はなされており、党大会はそれを追認する場でしかなく、あたかも民主主義があるかのように装う茶番に過ぎないことは今では常識的なことである。それでは歴史的に本当に党内民主主義は存在したことはないのだろうか―そうではないのである。ロシア革命直後の数年間は本当にそのような党内民主主義は生きていたのである。それを圧殺したのがスターリンであるかのごとくみなされているが、実際にはレーニンでありボリシェヴィキのほとんどの代議員だったのである。スターリンはそれを受け継いだというのが真相であろう。そしてこの劇場の上から全てを操っているのがマルクスだということは改めて述べる必要はないだろう。



(48)勝田吉太郎『知識人と社会主義』99頁


(49)マルクス主義の解剖学 第二部 「スターリン主義の形成」にて、ソ連体制形成の詳細な分析、大テロルの原因の解明がなされている。


(68)アラン・ブロック『ヒトラーとスターリン第1巻』 草思社、2003年、189頁~191頁

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<論文> マルクス主義の解剖学 14 


 『マルクス主義の解剖学』


  第8章 現実化したマルクス主義


 第4節 問題の核心―労働者自主管理

 

 技術者集団、テクノクラートの問題と対応するのが、労働者(プロレタリアート)の自主管理の問題である。これこそがマルクス主義、唯物史観におけるもっとも重大な問題である。社会主義社会、共産主義社会に向かう過渡期としてのプロレタリアート独裁は、当然政治権力としての独裁であるのと同時に、その本来の任務である産業の担い手としてその全体を管理しなければならない。その本来の形態である「階級としてのプロレタリアート独裁」が達成されなければ、共産主義社会に向かうことなど絶対に不可能だからである。したがって、社会主義革命が現実のものとなった今、産業全体のプロレタリアート―労働者による管理、運営の実現は最大に重要視されるべきものである。これがロシア革命直後からどのような経過をたどったのか―これを検討することは何よりもまして重要なものであるはずである。
 

 ところが、ロシア革命に関わる文献を多く読んでいくうちに、この問題は意外なほど取上げられていないということに気づいてきた。さらに、大きくこのような傾向があるのではないだろうか。ロシア革命、ソ連史全体あるいは社会主義国全体に対して基本的に批判的な立場である著者の著作とロシア革命、マルクス主義に対して基本的に肯定的な著者の著作とでは大きく違ってくるように思える。批判的な立場の著作はこの労働者自主管理の問題をかなり取上げている場合が多い。それでもその重要性の認識はまだ物足りないように思えるのだが・・・それに対して肯定的な著作では驚くべきことにこの労働者自主管理の問題はほんのわずか、あるいはまったくといっていいほど取上げられていないのである。思想的、理論的に労働者自主管理の問題を重要なものとして論じているマルクス主義者、社会主義者が実際にロシア革命を論じる時にはこの問題を避けて通っているようにしか見えないのである。これはまさに、その結果を知っているから・・・それは完全な失敗に帰したのだが―都合の悪いものは見ないようにしている、としか思えない。これは心理的にその原因を何らかの外部の客観的条件に求めて、失敗に終わったのだから検討するに値しないという完全な御都合主義になっているのではないだろうか。


 ここではその中でロシア革命に批判的な著者の著作を取上げ、この労働者自主管理を検討したいと思う。これは技術者集団、テクノクラートへのボリシェヴィキの対応と密接に関係してくるのである。これは早い時期からマルクス主義、ロシア革命、ソ連体制に批判的な考察を続けてきた勝田吉太郎の著作集、第三巻『知識人と社会主義』の中からの引用である。


 三 革命の夢と現実


 いかなる革命も、これまでのところ、種々な幻想を生み、達成不可能な美しく高遠な理想の名において遂行されてきた。なるほど闘争の最中においてこそ、理想は闘う人たちの眼に現実的なものと映じていた。だが、その幻想性は時とともに明白なものになっていった。社会主義思想の歴史において最も特徴的な事柄の一つ、それは社会主義の理論家や運動のリーダーたちが、成就されるべき未来社会の形態やそこに生ずべき諸問題について明確な予見も解決策もなしに、大衆を新しい社会理想の実現のために動員しようとしたことにあろう。社会主義の使徒たちは、未来の人間社会に生じる地上的な諸問題―"人間的な、あまりに人間的な"諸問題に心をわずらわされるにはあまりにも黙示録風のヴィジョンを追求する人たちであった。


 かつてトロツキーは、資本主義をば「各人が、自分自身だけのために考え、だれも万人のために考えようともしない」無政府的な経済制度であると特徴づけた。そして一たび資本主義に固有の本質的な非合理性が打破されるなら、すぐにも、万人のために配慮すべき「社会的指導」―それがどのように組織されるかは、慎重に考えられもしなかったのだが―がたち現われ、社会に秩序と合理性をたちどころに生み出すものと信じたのだった。


 実際、未来の社会主義ないし共産主義社会の公共生活の管理や経済的事項の組織運営の諸問題について、多少とも明瞭かつ具体的な指針となるべき思想は、マルクスやエンゲルスのもとでも、抽象的な片言隻語を除くと、まったく見られないのである。『ゴータ綱領批判』のようなドイツ社民党の具体的綱領に対する批評においてさえ、マルクスは共産社会への過渡期の段階のみか、完全な共産主義社会における経済機構についても、具体的な提言をほとんど与えなかった。おそらく「科学的」社会主義の創始者たちは、サン・シモンやフーリエたちによる、あまりに具体的かつ詳細にわたったためかえってナンセンスに等しくなった、かの未来社会についての構想の空想性を警戒するあまり、未来の問題は未来の世代の当事者たちにまかせようとしたのであろうか。レーニンは、死の直前に書いた一文のなかで、権力掌握後きびしい現実の事態にせまられて試行錯誤の政策を企てなければならなかった自己の苦しい経験のあとをふりかえり、こう述懐したのだった。


 「この問題について一語すら書こうとはマルクスは考えもしなかった。そして彼はそれについての正確な引用文一つ残さずに、また反駁の余地ない教示を何一つたれることなしに死んだのだ。だからこそ、われわれはもっぱらわれわれだけの努力でもって、困難から抜け出さねばならないのだ」と。


 したがって、理論家であるとともに実践家でもあったレーニンにしてからが、革命直前の諸論文のなかでは、その後の社会主義建設の実情から見るなら、ほとんど荒唐無稽な夢想の観がある一連の構想を書きつづっていたのは不思議ではない。1917年の10月革命が成功する2ヵ月前に、彼は『国家と革命』でこう認めた。


 「資本主義的文化は、大規模生産、工場、鉄道、郵便、電話その他を造り出した。そしてこの土台のうえで、ふるい《国家権力》の機能の大半は、非常に単純化され、記帳、登録、照合といったもっとも単純な作業に還元されうるので、これらの機能は、読み書きのできるものなら誰にでも、完全にやりうるようになり、またこれらの機能は普通の《労働者賃金》で完全に遂行されうるようになり、これらの機能から何らかの特権的な《お役所風》なものの一切のかげをとり除くことができる。例外なしに、すべての公務員の完全な選挙制および随時の解任制、彼らの俸給の《労働者賃金》への引き下げ―すべてこれらの簡単で《自明な》民主主義的諸方策は、労働者と農民の多数との利害を完全に結合しつつ、同時に資本主義から社会主義への橋わたしの役割を果たすものである」。


 資本主義文明の発達と成熟は、高度の工業社会を造り上げることによって、社会主義のための物質的条件を用意するだけではない。同時に「万人」が実際に国家行政や社会主義企業の運営に参加できるような前提条件をも生み出す―これこそが、レーニンの内奥の信念であった。「このような前提条件に属するもの」として、彼は先進資本主義国において実現されている一般義務教育と、「郵便、鉄道、大工場、大商業、銀行事業などのような社会化された大規模の複雑な装置による幾百万の労働者の教育および訓練」とを指摘した。こうした諸条件が満たされている以上、「資本家および官僚を打倒して、生産と分配の統制、労働と生産物の計算の仕事において、武装労働者、1人のこらずの武装人民をもって(打倒された資本家と官僚に)取り替えるのは、直ちに、今日明日にでも、充分に可能である。・・・・・すべての市民は、ここでは武装労働者からなる国家に雇われた事務員に転化する」。


 当時レーニンがどんなにナイーヴであったかは、革命のわずか2週間ほど前に書いた論文、「ボリシェヴィキは国家権力を保持するか」においても、いかんなく発揮されている。彼はこう書いた、「ロシヤはわずか24万人のボリシェヴィキ党員によって、貧民大衆の利益のために、富者のためでなく、統治することはできそうにない、と人は言う。だがわれわれは一挙に国家機構を10倍に増大するための《魔法の手段》をもっているのだ。それは資本主義国家がもたなかったし、またもちえなかった手段である。この魔法とは、労働者、貧民を国家統治の日常的な業務にひき入れることなのだ」。ポリシェヴィキだけが握っているこの「魔法の杖」を一振りとすると、どのような状況が現われるであろうか?これについてもレーニンは具体的な情景を描いている。要するにそれは、成人男女の大衆すべてが、古代ポリスの市民さながら、融通無碍にある時は警官に、ある時は執達吏に、ある時は裁判官に、ある時は企業経営者にと姿をかえる情景なのだ。この時代のレーニンの著作は、下からの大衆の自発的な創造的エネルギーをほとんど盲目的に信頼し、それに依拠する点で、きわめて濃厚なアナルコ・サンジカリスト的色彩を帯びている。「労働者管理」というスローガンは、レーニンにとっても、アナルコ・サンジカリストにとってと同様に、社会主義社会と国家経済運営上の一切の政治行政的問題を解決する魔法の杖であった。


 10月革命直後に、レーニンが「労働者管理条令草案」を認め、その第一条に、「労働者および勤労者合わせて5人以上の、あるいは年間取引高1万ルーブル以上の、すべての工業、商業、銀行、農業およびその他の諸企業において、すべての生産物および原料の生産、保管、売買に関して、労働者管理を実施する」と書いたのは、このような楽観的精神においてであった。そこにはまた大衆のアナーキスト的ムードを吸収し、それに依拠して革命の権力を掌握維持しようと企図する戦術的考慮もはっきりと表現されている。実際、革命直後に労働者たちは、政府の法令をまつまでもなく、資本家たちを逐い出して工場施設を次々と占拠していた。従ってレー二ンは、このような労働者たちの下からの自然発生的な意識と行動に事後承認を与えたわけである(45)。


 以上、論じられてきた問題は本論の第1章~第7章に至るまで考察されてきたことと照らし合わせてみれば明確に理解できるのではないだろうか。レーニンやトロツキーをはじめとするボリシェヴィキの深層には、反作用としての「魔術的因果性」、「増幅された能力転移」が強固に埋め込まれている。革命が成就されさえすればそれらの魔術が行使できるようになる―逆にいえばこれこそがそのとき置かれたロシアの困難な情勢の中で一直線に迷いなく行動出来たということである。客観的情勢の推移がボリシェヴィキに有利に動いたときレーニンは迷いなく権力を奪取することが出来たのである。


 ひとたび資本主義に固有の本質的な非合理性が打破されるなら、たちまち社会に秩序と合理性を生みだす・・・「増幅された能力転移」が起きた場合のみ、このことは正しいのである。「資本主義的文化は、大規模生産、工場、鉄道、郵便、電話その他を造り出した。そしてこの土台のうえで、ふるい《国家権力》の機能の大半は、非常に単純化され、記帳、登録、照合といったもっとも単純な作業に還元されうるので、これらの機能は、読み書きのできるものなら誰にでも、完全にやりうるようになり・・・」以下、レーニンが論じていることの非現実性の理由を細かく述べる必要はないだろう。マルクスの壮大で巧妙なイデオロギー的歪曲の中に完全に埋没しているからこそ、このような思考は可能になるのである。資本家の経営者としての価値を完全に否定し、中間階層であるテクノクラート、専門家を捨象して、経済機能の重要な領域を思考の外に追いやり、プロレタリアートが権力を奪取すれば搾取者の支配から逃れられ、合理的な秩序ある経済の運営が可能になる。搾取者が本来合理的で秩序あるプロレタリアートのみが運営する経済の妨害者であった、というように。そのことによって上部構造の仕事は単純化され、読み書きのできるものなら誰もがその仕事ができるようになる。そのことによって、労働者、貧民を国家統治の日常的な業務にひきいれることができる。―以上の思考過程への大きな起点はやはり『資本論』の頭脳労働価値捨象であり、頭脳労働と身体労働の相互依存により、経済機能構造が成立しているというもっとも重要な認識を破壊していることであろう。


 現実はまさにそれと正反対である。プロレタリアートのみが経済を担うということは、土台内部の頭脳労働をすべて兼任しなければならない。当然、高度な専門知識、技術も必要になってくる。そして、それだけではまったく足りないのである。情報伝達に関する超高効率の能力が要請される。生物学的限界をはるかに超えたその情報伝達を可能にするためには、脳と脳がダイレクトで結びつくような能力を持ったプロレタリアートが要請されるのである。読み書きができるかどうか・・・例えばマルクス主義者の中にはこのロシア革命の失敗の理由に多くの国民がレーニンの言ったような読み書きさえ出来なかったことを挙げているが、それではこの時、ロシアの大衆の全員が完璧に読み書きができたのならば、事態はまったく変わったものになっていたのだろうか。これは問題の本質から遠く、遠く、遠くかけ離れているのである。そのようなレベルの問題ではまったくないのである。能力問題を下向きに設定することは絶対に出来ない。つまり、レーニンは自分でもまったく不可能なことを大衆に要求していたことになるのである。


 そして、革命直後に労働者たちは、政府の法令を待つまでもなく、資本家たちを追い出して工場施設を次々と占拠していった。ここでは労働者の側の意識、状況の認識といったものが重要になってくる。これら労働者たちは当然ボリシェヴィキのプロパガンダによる社会主義革命のイデオロギーに感化されているだろう。しかし、労働者側にもそれらを支持する強い心理的動機があったとみなすことができる。資本家を追い出し、テクノクラートなどの専門家を軽視することは工場の管理、運営に対してどのような結果をもたらすかということが、よく認識されていなかったことは明らかである。しかし、その理由がどうであれボリシェヴィキが労働者の支持を受けていたということは事実なのであり、10月革命がその蜂起においてはクーデターであったとしても、その全体を純粋に軍事クーデターに還元出来ないことも明らかである。そこには大衆革命としての要素も存在していたのである。


 第5節 労働者自主管理の失敗


 この労働者自主管理を政治権力がその中心となるイデオロギーの遂行として保証し、労働者もそのように行動した・・・まさにそれが歴史的に現実のものとなったのである。その結果は火を見るよりも明らかである。そもそも経営、管理に関して知識や技術を持っていない、あるいはごくわずかしかなく経験もない―そのような人だけしかいなければ工場の運営は当然麻痺してしまうだろう。あるひとつの工場が無計画に製品を生産したとしても、それに関連する領域が相互に情報を交換せず、統一的な運営をしなければ生産物は無駄なものとなり、、、つまり使用価値の付与されないものとなるのである。ここで第7章で考察されてきた「増幅された能力転移」がもし現実に起きれば、まさにレーニンがイメージしたような労働者による経済運営が可能になるのである。逆にいえばこの労働者自主管理が成功するためには「増幅された能力転移」が絶対に起きなければならないのである。トロツキーが言ったように資本主義が打破されれば、たちどころに合理性と秩序が現れる―まさにこれは資本主義勢力を打倒すれば「増幅された能力転移」が起こるという反作用としての「魔術的因果性」なのである。


 四 労働者管理制の運命


 1918年の第1回ロシヤ労働組合大会は、労働者管理制の導入について真剣に論議し、生産の全管理部門に一般労働者が参加し、運営と統制に従事するよう決議した。そしてこの決定は、1919年3月に開かれた共産党第8回大会で承認された。


 しかしながら現実の事態の発展は、労働者管理制を次第に袋小路へと導いていった。実際のところ、内戦と干渉の混乱時代に国有企業への労働者管理制の導入は、国民生活の混乱不統一と経済上の諸困難を増すばかりであった。たとえば1918年のはじめ、鉄道運営の実権は鉄道労働者の委員会にゆだねられたが、その結果、数ヵ月を出ずして輸送はほとんど正常な機能を停止する有様になってしまった。委員会は自主的運営を強情に要求する一般労働者たちのわがままを抑える力をもたなかった。委員会が労働者たちの恣意や横車を押さえようとすると、きまって委員会代表たちに怒号があびせられ、解任されるのがおちであった。こうして結局のところ、混乱の数ヵ月のあと1918年3月26日にいたって、政府(ソヴナルコム)は鉄道労働者の手中から鉄道事業の管理運営の実権をとりあげ、猫の手も借りたいほどに多忙であったトロツキーの強力な腕に交通人民委員部をも委ね、「鉄道輸送に関する事項における独裁的権力」を彼に与えることになった。


 全ロシヤ中央執行委員会の席上(4月29日)、レーニンは鉄道における労働者管理制導入の実情に失望幻滅したことをもはや隠そうとはしなかった。「われわれの課題は、一切の怠業者たちをわれわれの管理の下に、つまりソヴィエト権力の管理の下に就業させ、計算と統制が厳重に組織されるように行政機関を造りあげることである。何十万という不平が私の耳に入っている時、国中が飢えている時、そしてこれらの不平が正しいものであり、パンはあるのにそれを輸送できないという事態を誰でも知っている時、そしてわれわれが下した鉄道法令のような処置に対して左翼共産主義者から嘲笑と抗議が発せられる時、いやはやこれはもはやナンセンスにほかならないのだ」。


 鉄道の混沌は、ソ連の全産業の縮図でもあった。そして鉄道労働者の自主的管理を国家の手にとりあげるという荒療治は、その後の党指導部による全産業政策の原型となった。


 E・H・カーが指摘するように、労働者管理制の導入は結局のところ二つの目的に役立ったにすぎなかったといえよう。つまりそれは、一方では、革命に敵対する旧秩序を下からの大衆のアナーキスト的な「破壊への情熱」によって打破するために猛威を発揮した。他方では、労働者管理制が自己自身の論理的帰結をとことんまで押しつめていった時、それがかえって、より厳格でより中央集権的な新しい管理形態にとり代えられなければならないことを証明するために役立ったにすぎなかったのである。


 労働者管理制が崩壊して各企業が国家の直接統制下に入るとともに、新しい産業規律、企業の単独責任制、ブルジョワ出身で非党員の技術専門家の雇傭などが日程に上った。まだ1918年3月の時点では、国家経済最高評議会のスポークスマンは、工場内にブルジョワ技術者を残留させるのは、「労働者に対する裏切り」であると公言していたほどである。だが、はやくも同じ頃、トロツキーはツァーリ政府の旧将校から適任者を選んで赤軍の士官と幹部へ抜擢していた。やがて1919年12月になると、党協議会の席上レーニンもかつての自説をきれいさっぱりと忘失したかのように、「ブルジョワ専門家」の必要を説き、彼らの助力を高く評価するようになった。


 「われわれは、これらのグループをよりよい状態におく必要を認める。けだし資本主義から共産主義への移行は、ブルジョワ専門家の利用なしには不可能であるからだ。われわれの全勝利、半ばプロレタリア的(ボルトルードヴォェ)で半ば所有欲をすてきれない農民を味方に獲得したプロレタリアートによって指導されたわが赤軍の全勝利は、部分的には、ブルジョワ専門家を利用することができたおかげで得られたものなのだ。軍事的事項に表現されたわれわれ(のこの政策は、国内建設の政策にも適用されねばならない」。


 他方企業の単独責任制も、鉄道における労働者管理の制度が姿を消したのち、党内外の反対をおしきって次第に全企業へ拡大された。レーニンは「ソヴィエト政権の当面の課題」のなかで、こう書いている。「最近鉄道輸送の再編成と正常な組織化とについての問題審議の際に、単独管理権(つまり独裁権と呼んで差支えない権力)が、どれほどまで民主的組織一般ととくにソヴィエトの社会主義的組織原理と調和できるか、という問題が発生した。このような調和はお話しにもならないという意見―つまり独裁的な単独の権力が民主主義とも、ソヴィエト型国家とも調和しない、といった見解は、疑いもなく極めて支配的である。だがこれよりもはなはだしい謬見はないのだ」。レーニンはこう述べたのち、およそ大規模企業のうちで組織された労働過程が能率的に運営されるためには、企業経営者の単独の意志決定に対する無条件の服従が不可欠である、と力説している。


 「鉄道も運輸も、巨大な機械工場も企業一般も、全勤労者を時計の正確さをもって作用する一つの経済的機関に結合させる単一の意志なしには、規則正しく機能することはできない。社会主義は、大規模機械工業によって生み出されたものだ。もしも社会主義を導入した勤労大衆が、大規模機械工業が作用しなければならないような仕方で、自己の制度を適応させることができないならば、社会主義の導入などはとうていお話しにもならないのだ。企業の単独の指導者の命令を自発的に遂行することが必要である」。


 むろんのこと、このような新しい企業運営原理の導入は、労働組合のリーダーや非ボリシェヴィキ活動家のみならず、党内からもはげしい非難と反発をひき起こすことになる。すでに1918年12月に開かれた全ロシヤ国民経済会議第2回大会の席上、メンシェヴィキの代表ダーリンは、のちの「労働者反対派」や「民主的中央集権派」による批判を先取りして、党指導部の責任をこう糺弾した。「プロレタリアートはどこにもいず、あるのはただ独裁、しかもプロレタリアートの独裁ではなく、その手中に死せる工場をしかと握る巨大な官僚機構の独裁にすぎない。諸君は、無制限に圧追と搾取を行いうるブルジョワジーを育成しているのだ」と(46)。


 この引用文の内容を検討していくと、この労働者自主管理が内戦と干渉という混乱時代でなかったとしても、それが機能不全になり失敗することには何ら変わりはないということである。今までこのような労働者管理制が失敗したことに対して、そのときのロシアの置かれた困難な状況をその理由として挙げることが余りにも多い。それはこのような内戦という異常な事態でなければ、さらに資本主義がもっと発展し成熟していてプロレタリアートの数が多く、その意識が高ければそのような失敗に至ることはなかった―このような弁明がなされるのである。社会主義窮乏化理論はそのような外的、内的条件には一切関わりなく、この労働者自主管理は成立しないことを証明している。もっとも、この時の労働者自主管理は社会主義窮乏化理論における実験のような身体労働と頭脳労働をどのように統合するか、という観点自体が存在しなかっただろう。それはまったくのアナーキーな状態と化してしまったのである。ここで例として挙げられている鉄道運営に関しても、それが麻痺してしまえばそれに関わるところのあらゆる流通、運送がストップしてしまう。それはまさに致命的なものとなるのである。


 第6節 労働者自主管理失敗の考察


 労働者自主管理は1918年初めに導入されたが、その失敗は数ヶ月も経ずして明らかになっていた。そして3月26日政府は鉄道労働者の手中から鉄道事業の管理運営の実権を取上げてトロツキーに交通人民委員部を委ね独裁権力を彼にあたえることになった。4月の終わりにはレーニンは鉄道における労働者管理制導入の実情に失望したことをもはや隠そうとはしなかった。レーニンが革命直前にイメージしていた状態とそれが現実になった状態とではまさに天と地の差がある。この問題こそもっとも重大な問題である。たった5ヶ月でレーニンとボリシェヴィキ指導部の認識は劇的に変化していったのである。問題の焦点は次の事にある。この労働者自主管理の失敗と唯物史観、マルクスの理論における関係である。すなわち、「階級としてのプロレタリアート独裁」へ向かうためには、当然プロレタリアートが経済全体を管理することが大前提であるはずである。そうでなければ社会主義社会→共産主義社会へ向かうことは出来ないだろう。これは唯物史観の根幹に関わる問題である。そして現実にはこの労働者自主管理が失敗したということは、そもそも唯物史観の根本が誤っている―この段階においてそう即断することは出来ないとしても、そのような可能性を当然考えなければならないはずなのだ。しかし、レーニンとボリシェヴィキはそのようなことは露ほども考えなかったのである。


 そして、このようなことを露ほども考えなかったのは、この時のボリシェヴィキだけではなくロシア革命、ソ連とマルクス主義、唯物史観の関係を考察する際に多くの人が取った立場だということである。このことが非常に不思議なことであった。つまり、労働者自主管理が成立しなければその管理運営は誰がするのだろうか。革命によって資本家は弾圧され、追放され、あるいは抹殺されている。そうなればその管理運営は官僚がするしかないのである。このことによって経済官僚が大量に生ずるのは絶対に避けられないことである。当然、それは政治権力から下に伸びる階層性をもった官僚構造が構築されていくことを意味している。この官僚制を批判するのならば、労働者自主管理の失敗がどのような理由で起こったのか、どうすれば良かったのかということが最大、最重要な問題になってくる。ところが多くの人は単に官僚制を批判するだけで、そこから先の理由を考察しないのではないだろうか。


 しかし、このことに対してはおそらく次のような反論があっただろう。「世界戦争とそれにつづく内戦によって、労働者階級も疲弊し切っていた。それによって本来の管理運営が出来なかったのだ」、「ロシアは資本主義がまだ未発達で労働者の技量や意識がまだ未熟な段階であった。これがもっと成熟していたならば管理運営は出来たはずだ」、「ロシアは圧倒的な農業国であり、農民が全体の8割を占めていた。労働者階級の絶対数が少なすぎるのである」、「マルクスの前提は一国のみの革命ではなく、世界的な革命を考えていた。ロシアのような労働者が少なく未熟で、なおかつ世界革命が起こりそこから強力な労働者階級の支援がなければ労働者自主管理運営は到底困難である」これらのことが幾つも並べられると、なるほどもっともだというような感覚を持つようになる。だが果してそうだろうか。例えばここで挙げられている鉄道運営を考えてみれば、これらの条件がすべて満たされていたら―戦争という困難な状態でなければ―資本主義がもっと発達していれば―世界革命が起きて他の国の労働者が支援に駆けつけてくれたら―労働者自主管理運営は順調に進むのだろうか?つまり、ここで言われていることは唯物史観における「土台の変革」を直接問題にしているのではなく、その周辺を論じているのである。


 土台の変革―経済機能構造の変革は今まで論じてきたように、無階級化のためには身体労働を基盤としてそれに相互依存している頭脳労働を統合しなければならない。それが労働者自主管理を成功させる本質的な指標である。つまり、これはそれまでの労働形態内部での統合の問題であり、その外部条件、資本主義の段階、戦争、他の国での革命といったものはまったく無視してよいような問題なのである。労働者の数というのも、鉄道運営ならそれ以前にそれが機能していたならば、機能上の数というのは満たされていたのであり問題にならない。その国全体の労働者の割合というものに直接の関係はない。そして、労働者自身の技量や意識というものが問題になってくるわけであるが、まさにこれが身体労働を行いながら頭脳労働を兼任するという能力―そのような技量や意識が必要になってくるのである。これが資本主義段階の問題とはまったくかけ離れているということは明らかであろう。もちろんこのような能力は現実には存在しない。そこで経済機能を保とうとすればそれは必然的に階層性を持つことになり、労働者内部で頭脳労働と身体労働の分業が生じてくることになる。現実の問題としては、このような短期間で頭脳労働を習熟することは不可能であり、管理運営は官僚の手に移らざるをえないのである。


 「レーニンはこう述べたのち、およそ大規模企業のうちで組織された労働過程が能率的に運営されるためには、企業経営者の単独の意志決定に対する無条件の服従が不可欠である、と力説している。『鉄道も運輸も、巨大な機械工場も企業一般も、全勤労者を時計の正確さをもって作用する一つの経済的機関に結合させる単一の意志なしには、規則正しく機能することはできない。社会主義は、大規模機械工業によって生み出されたものだ。もしも社会主義を導入した勤労大衆が、大規模機械工業が作用しなければならないような仕方で、自己の制度を適応させることができないならば、社会主義の導入などはとうていお話しにもならないのだ。・・・・企業の単独の指導者の命令を自発的に遂行することが必要である・・・・』」。レーニンのこの言動はかぎりなく重要である。わずか2、3年前までこのようなことはまったく考えられもしなかっただろう。レーニンの思い描いていた世界はこれとはまさに正反対であったのである。これは180度の転換を意味している。これは本論で追及されてきた経済機能構造が必ず階層性を持たなければならない、ということが現実のものとして認識されたわけである。もっとも、このようなことは資本主義社会の経営管理に関わるものなら常識的なことである。このようなまったく常識的なことが、この段階でやっとわかったということなのである。しかし、このような経済機能構造の階層性に縛られることが労働者の疎外ではないだろうか。これこそ、マルクスが解決しようとした問題なのではないだろうか。しかし、レーニンにとってみれば「背に腹は代えられぬ」ということになったのである。


 そして、さらなる問題はその次の「社会主義は、大規模機械工業によって生み出されたものなのだ」ということにある。この場合の社会主義は大規模機械工業という経済形態によって生み出された抽象的な理念、という意味ではない。そうだとすれば、ある程度19世紀の社会主義思想の生み出された事実関係を述べたものとして妥当性をもっているだろう。しかしこの場合の社会主義は、すでに現実の経済形態として現存している―という意味であり、それが大規模機械工業から生み出された、あるいは生み出されるべきものである―ということである。ここにこそ「唯物史観」の巨大な刷り込みがなされている。これは一体何を根拠にしているのだろうか・・・これを追求していけば、これには何の根拠もない単なる希望、願望にすぎないことがわかるのである。この場合の社会主義に現実の経済形態に対する有意味な対応関係は何もない。ここにあるのはただ単に「資本主義が生み出した大規模機械工業があり、社会主義は資本主義のあとにくるものであり、資本主義よりも進んでいるのだから大規模機械工業を受け継ぎ、さらに発展させたものである」という論理があるだけである。そして、社会主義が共産主義に向かう過程であり、それが無階級化に向かうということをその本質としているのだから、大規模機械工業と社会主義とはまったく水と油であり、両立するはずはないのである。つまり、それ以前の前提「唯物史観」の資本主義のあとに社会主義が来る―このことが完全な誤りであるということである。この事態になってもレーニンとボリシェヴィキは「唯物史観」が誤りであったなどとは微塵も考えることはないだろう。また、社会主義革命のルビコン川を渡った以上もう引き返すことは出来ず、革命の誤りを根本的に認めることは自らの破滅を意味していたのである。


 この誤りを認められないということは、もうひとつその誤りの所在がどこにあるかということが非常にわかりにくい、というところにもある。これも本論の今までなされてきた考察を繰り返すことになるが、マルクスが『資本論』をはじめとする著作で構築してきた論理体系、頭脳労働形態、頭脳労働価値を否定ないし捨象しながら資本主義社会の動態分析、過程分析を行ってきたという壮大なイデオロギーの宇宙に完全に埋没しているからである。資本主義の動態分析から導き出される資本主義社会の矛盾と行き詰まりは、科学的な精密さで立証されるのであり、その次に来る社会は必ずその矛盾を解決した社会であると歴史法則が保証しているのである。その資本主義の動態分析をする構成要素の中に、資本主義の矛盾を解決するために考えなければならない不可欠な要素がありながら、それが完全に消去されているなどとはまったく考えられなかったのである。これは完全に常識的な心理の裏をかいている。そのような構成要素がもしないとするならば、その動態分析は完全なものであるはずはなく、欠陥だらけのものになるはずだからである。ところが、その構成要素「頭脳労働形態、価値」がなくても動態分析はほとんど問題なく進めることが出来たのである。そのことから逆に、資本主義の矛盾を解決し社会主義に向かうための構成要素は十分に満たされている、このような強固な刷り込みがなされているのである。


 また、次のことはさらに重要だといえるだろう。唯物史観によってこれは歴史上の問題であり、過去の革命の類推によって社会主義革命も推し図ることができる、ということである。革命には過渡期があり、それが次第に収束して安定した状態を迎える。その期間は数年から数十年かかるのが一般的である。革命が勃発し、その革命勢力がまったくそのままの状態で保持されているのに、革命が失敗に終わっている―などということがあるとは誰も考えないのである。革命勃発後、数ヶ月がたったときに、当初に考えていた通りにならなかったとしても、これから修正していけばよいことである、と当然考えるのである。しかし、ロシア革命に限ってこれは当てはまらない。この革命はそれ以前の革命と根本的に異なっている。この革命は完全な兼任を達成できる能力が得られるとされるイデオロギーにもとづく革命なのであり、それ以前のいかなる革命ともまったく断絶している。過去の革命との類推は本質的には無効なのである。


 そして、以上のような誤りを共有していたのはレーニンとボリシェヴィキ指導部だけではなく、一般党員、労働組合のリーダーや労働組合員、さらにメンシェヴィキも同じだったのである。「プロレタリアートはどこにもいず、あるのはただ独裁、しかもプロレタリアートの独裁ではなく、その手中に死せる工場をしかと握る巨大な官僚機構の独裁にすぎない。諸君は、無制限に圧追と搾取を行いうるブルジョワジーを育成しているのだ」メンシェヴィキの代表ダーリンはこのように言ったが、このような事態になるのは必然であり、そもそもプロレタリアート独裁というものが非現実的である。唯物史観のイデオロギーに完全に埋没している、という点でボリシェヴィキもメンシェヴィキもまったく同じだったのである。それは、唯物史観のもっとも本質的な誤謬「能力問題」が現実になったとき、その矛盾は巨大な壁になって立ち塞がったのである。ここに参加している全員が、この矛盾にまったく気づかず行動するとき、一方ではどうにもならない経営管理の状態を正常化するために官僚支配を強化せざるをえない。そして、一方ではそのような事態は唯物史観、社会主義、共産主義に対するまったくの裏切りであり、そこから逸脱するものであるという批判、非難が増大するだろう。


 この事態には絶対確実にいえる原理的な非対称性がある。それは権力を行使する指導部は産業における生産力を維持、拡大していくために経済機能構造を絶対に維持しなければならないということである。資本家の存在を完全に否定しているのだから、この構造を担うものは官僚以外にはいない。どれほどそれが唯物史観、共産主義への道から逸脱しているように見えたとしても、現実に高度産業社会における生産力を保持しなければならないのである。そうしなければ、社会の秩序ある構造は破壊され途方もないカオスがもたらされるだろう。当然、それは自らの破滅も意味している。そして一方の権力を行使する立場でないものは、このような事態を絶対に受け入れられない―これはマルクス主義、共産主義の真摯な信奉者なら必ずこのようになるだろう。しかし両者はどちらも唯物史観、マルクス主義の真摯な信奉者なのである。この両者は原理的な矛盾から、原理的な非対称性が生じ、対立的な立場に置かれるのである。しかし、権力を行使する側はそれ以外のものを絶対に従わせなければならない。そうしなければ、権力基盤そのものが存在しなくなってしまう。つまり、ボリシェヴィキ指導部はこのようなメンシェヴィキからの批判、そのあとは労働者反対派からの批判に対して、その批判が正しいがゆえに自らの存在を脅かす最大の凶器になる、と感じるだろう。その批判を封じるために秘密警察を使った物理的な強制手段を使うことになる。あるいは分派禁止によって自由な討論、党内民主主義を抑圧せざるをえなくなるのである。


 ボリシェヴィキは、彼らが祝福して1917~18年に導入した「労働者統制」から生じた経営管理のアナーキーを克服することにおいては、より大きな成功をおさめた。工業企業を管理する参議制の方法では、経験のない労働者と労働組合の役員が決定権をもっており、戦時共産主義のもとで工業生産性が劇的に低落したことの多くは、この方法に責任があった。早くも1918年の春に、レーニンとトロツキーは、個々の経営管理者に執行権を委ねる必要があると語っていた。しかしながら、労働者は、そのような変更には抵抗した。彼らは「労働者統制」を革命の偉大な成果の一つとみなすようになったからである。内戦の終了とともに、政府は彼らの抗議を無視することができるようになり、1921年末までに、ソヴィエトの工場のうち、10分の9は経営責任者のもとにおかれ、その多くが旧体制からの残留者であった。


 それにもかかわらず、党の干渉、労働者の直面した経済的苦難、そして刺激の欠如により引き起こされた工業生産性の冷酷な下落を、どのような行政措置をもってしても遅らせることはできなかった。この下落を示す様々な指標がある。大規模な工業生産は全体として、1913年と比較して、82%降下した。1913年の生産を100とすると、石炭の産出高は、1920年までに27・0に、鉄は2・4に、綿紡績糸は5・1に、石油は42・7まで落ちた。ロシアの労働者の生産性は(実質ルーブルに換算して)、26まで落ちた。雇用されている工業労働者の数は、1918年を100として、1921年には49に低下した。要するに、戦時共産主義のもとで、ロシアの「プロレタリアート」は半分に減り、工業生産は4分の3、工業生産性は70%低下したのであった。1921年に、レーニンは、この残骸を見渡しながら、「プロレタリアートとは何か、それは大規模な工業に就労する階級である。すると、どこに大規模な工業は存在するのか。これは、どんなプロレタリアートなのか。きみたちの〔!〕工業はどこにあるのか。何故、それは遊休しているのか」と激怒した。この修辞疑問に対する答えは、レーニンが是認してきたユートピア的なプログラムこそがロシアの工業を殆ど破壊し、ロシアの工業労働力を半減させてしまったということである。しかし、急速に工業の崩壊が進むこの間に、工業を管掌する官僚機構の維持費用は、うなぎ登りに増大した。最高経済会議の人員は、1918年3月の318人から、1921年には100倍の3万人を雇うまでに拡大したのであった(47)。



(45)勝田吉太郎『知識人と社会主義』ミネルヴァ書房、1992年、92頁~95頁


(46)同上書 96頁~98頁


(47)リチャード・パイプス『ロシア革命史』206頁



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 『マルクス主義の解剖学』

 

 第8章 現実化したマルクス主義

 

 ここから本論の今までの論考をもとに、現実に生起した歴史過程の分析、解釈に入ることにする。その中心になるものはいうまでもなく人類史上初めての社会主義革命を実現したロシア革命である。ロシア革命の考察、解釈は今まで膨大な量がなされてきた―本論はこれらの解釈と根本的に異なるものを持っている。この解釈の延長上に20世紀最大の謎といわれるスターリン体制の成立、左翼全体主義の解明があるが、ここではロシア革命の初期段階、特にテクノクラートと労働者自主管理の問題を扱うことにしたい。

 

 第1節 ロシア革命

 

 1917年10月25日(新暦11月7日)レーニンとボリシェヴィキはクーデターによって、その権力を掌握した。ついに社会主義革命のルビコン川を渡ったのである。ここに至るまでの経過は、多くの書物によって研究され、描かれてきたことであるがボリシェヴィキにとって多くの幸運が重なったことがわかっている。蜂起の段階で権力の掌握は確実なものとなっていた。しかし、その権力を維持することは非常な困難が待ち受けていたのである(41)。


 革命が成功したそのとき、人類がいまだかつて経験したことのない、マルクス主義、共産主義イデオロギーのイデオロギー空間が形成された。それは目に見えない衝撃波となって地球全体を駆け巡ったのである。それは権力の主体が反作用としての「魔術的因果性」「増幅された能力転移」にもとづいて政策を遂行する―ということを意味している。レーニンは『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』の冒頭部分でこのように書いている「マルクスの学説は正しいから、全能である。その学説は完全で均整がとれており、どのような迷信とも、どのような反動とも、またブルジョワ的抑圧のどのような擁護とも妥協できない、全一的な世界観を提供している(42)」これは唖然とするような文章である。ある学説の正しさが、どうして全能性へと結果するのだろうか。しかし、マルクス主義の宗教性の考察からレーニンの確信の理由を推し測ることができるのである。


 資本主義体制を破壊し、収奪者を収奪し、その勢力を抑圧、撲滅、抹殺することによって、その能力がとてつもない規模で増幅されて転移する、という魔術的因果性が権力を握ったボリシェヴィキに刷り込まれているのである。これらは深層の論理であり、決して意識化することはできない。これがレーニンの全能感の源泉なのである。そして自らは、どのような迷信とも妥協できない、と考えているのである。つまり、完全に逆さまの世界に住んでいる人といえるだろう。そしてさまざまな論理がこのことを補強する。それはボリシェヴィキだけではなく、メンシェヴィキにもその他の社会主義者、あるいはプロレタリアート、兵士たちにも広く共有されるものだったのである。このことが、ボリシェヴィキの権力掌握とその維持に強い力を与えることになった。


 ブルジョワジーや貴族、立憲民主党に対する弾圧は、革命直後に始まっている。そして、官僚のストライキや反革命分子を取り締まり、弾圧するための秘密警察、チェーカーはジェルジンスキーの指揮のもと革命後2ヶ月足らずで設立された。恐るべき20世紀秘密警察の典型的な雛型が形成されていったのである。これらは白衛軍などの本格的なボリシェヴィキに対する挑戦がはじまるかなり前の事である。ここで注目しなければならない重大な問題は次のようなことである。この秘密警察はそれ以前の帝政時代の秘密警察とは根本的に性格が異なる、ということである。帝政時代の秘密警察は、イデオロギー上の目的ではなく専制体制を維持し、守ることが目的であった。しかし、チェーカーはマルクス主義、共産主義イデオロギーに奉仕するという目的があったのである。ジェルジンスキーは志操堅固な共産主義者であった。これは単にボリシェヴィキ体制を打倒する勢力から守るということのみが目的なのではない。ブルジョワジーとその勢力、あるいは旧体制の勢力がボリシェヴィキにとって危険であろうが、なかろうが、その階級であるということにおいて、収奪され、抑圧され、弾圧、抹殺されるべきものなのである。これは第1章、第2章で考察されてきたマルクスのイデオロギー操作からもたらされたものであるということが理解されるのではないだろうか。ブルジョワジーを労働価値説の対象から巧妙に除外して、単なる搾取者に仕立て上げるということが絶大な効果を発揮しているのである。そして、さまざまな論理によって、これは歴史の必然的な発展であると考えられているのである。これに反するものは人類の進歩に逆らうものであるという強固な信念が形成されている。このことが敵対する階級にたいして、相手がこのことを察知して対抗する手段を講じてくるだろうということを予測させる。それに対して先手を打たなければならない―そのような行動に駆り立てることになる。それがチェーカーの疑わしきは抹殺する、というような過剰な行動へ導くといえるだろう。

 

 第2節 ボリシェヴィキのイデオロギー

 

 ロシア革命の分析をするにあたって、確認しておくことがある。それはレーニンをはじめとするボリシェヴィキのイデオロギーはマルクス主義、唯物史観であり、それも原理主義的といえるほどのものであった、ということである。何をわかりきったことを、と思われるだろうが、これが意外なほど問題になってくるのである。後でまた詳しく論じられることになるが、革命後のボリシェヴィキの行動から彼らのイデオロギーの目的はマルクス主義ではなく、ロシアの伝統的な専制体制を復興させることである、というような解釈も存在するからである。つまり、マルクス主義のイデオロギーは副次的な仮ものにすぎず、それは伝統的な政治体制を自分達のものにするための方便にすぎない、ということなのである。これは後のスターリン体制、全体主義体制に至ったのはロシアの伝統的な専制体制が中心にあり、それにマルクス主義のイデオロギーが接ぎ木されたからである―中心にあるものはロシアの伝統である、このような解釈がリチャード・パイプスなどによってなされている。


 ボリシェヴィズムを支える理論、すなわち、カール・マルクスの著名な理論が西側の起源であったということは論争の余地がない。しかし、ボリシェヴィキの実践活動がその土地に固有のものであったことも同様に争う余地がない。西では、マルクス主義がレーニン―スターリン主義の全体主義的暴圧に至るところはなかったからである。マルクス主義は、ロシア、続いて、同じような伝統をもつ第三世界の諸国の、自治、遵法、そして私有財産を尊重する伝統がない土地に所を得た。異なる状況では、異なる結果をもたらす原因というものは、殆ど十分な説明たりえない。


 マルクス主義には絶対自由主義的なところと権威主義的な気質があり、その二つのうちどちらが優勢となるかは国の政治文化というものにかかっていた。ロシアにおいては、その国の家産制的な遺産に適合する諸要素が、マルクス主義者の教義のなかで優勢となった。中世以降のロシアの政治的伝統では、政府、正確に言えば統治者が主体であり、「国」は客体であった。この伝統は、マルクス主義者の「プロレタリアート独裁」という概念と容易に融合し、そのもとでは、統治する党が、その国の住民と資源に対し排他的な支配を主張した。そのような「独裁」に関するマルクスの考えは、最も手近な内容で満たせるほど充分に曖昧であった。そして、ロシアでは、それは家産制の歴史的な遺産であった。マルクス主義のイデオロギーをロシアの家産制の遺産の頑強な幹へ接ぎ木したことが、全体主義を生み出したのであった。全体主義は、マルクス主義の教義か、あるいは、ロシアの歴史かのどちらかにだけ言及することでは説明されえない。それは、それらが結合した成果であった。


 イデオロギーは重要であったが、しかし、共産主義ロシアの形成におけるその役割は、過大視されてはならない。もし、一個人、あるいは一グループがある信念を公言し、行動への指針としてそれに頼るとするならば、それは、理念の影響のもとで行動していると言えるかもしれない。しかし、理念が個人的な行動を導くためではなく、他者への支配を正当化するために用いられたとき、それが、説得によるものであれ、強制によるものであれ、問題は混乱する。そのような説得、あるいは強制が理念に奉仕しているのか、そうではなく、理念の方がそのような支配を保証し合法化するのに役立っているのかを、確定できないからである。ボリシェヴィキに関しては、後者の場合であったと主張する強力な根拠がある。何故なら、彼らは考えうるあらゆる方法を用いて、最初は政治権力を獲得するために、ついでそれを維持するために、マルクス主義を歪曲したからである。マルクス主義に、もし、何らかの意味があるとすれば、それは二つの命題、つまり、資本主義社会は成熟するにつれて、内部矛盾から崩壊を運命づけられているということ、および、この崩壊(「革命」)は、工業労働者(「プロレタリアート」)によって成し遂げられるということにおいてである。マルクス主義の理論に動機づけられた体制は、少なくとも、これら二つの原則に固執することになろう。ソヴィエト・ロシアにおいて、我々がみるものは何であろうか。それは、資本主義がまだその揺藍のなかにあり、経済的に低開発な国で遂行された「社会主義革命」であり、労働者階級は自らの思惑に任ねられると革命を担うことはできないと考える党が権力を掌握したことである。その後、ロシアの共産主義体制は、その歴史のあらゆる段階においてマ ルクス主義の教義を顧慮することもなく、異議を唱えるものを撃退するためなら、その行動をマルクス主義のスローガンで覆い隠すことさえ辞さず、あらゆることを行った。レーニンが成功したのは、メンシェヴィキの行動を抑制していたマルクス主義的な良心の苛責から、まさに、彼が自由であったことによる。これらの事実を考慮すれば、イデオロギーは、副次的な要因とみなされなければならない。それは、恐らく、新しい支配階級の着想と思考様式ではあるが、支配階級の行動を決定したり、それを子孫に説明するところの一揃いの原則ではなかったのである。一般的に、ロシア革命の実際の経過について知るところが少なければ、それだけ、マルクス主義者の理念に支配的な影響力があったとみなしがちである(43)。


 この見解はメイリアの『ソヴィエトの悲劇』などによってなされた、ロシアはロシア革命によってもたらされたマルクス主義、共産主義イデオロギーとその体制によってそれ以前のロシアとは決定的に切断されている、という解釈と真っ向から対立している。この見解は非常に重要な問題であるので、徹底的な反論を加えていくことにする。


 まず、西側の起源であったマルクスの理論がロシアと違い、西側ではレーニン―スターリン主義の全体主義的暴圧に至るところはなかった、という問題について検討してみる。これはマルクス理論についての根本的な無理解から生じている。といってもパイプスがこのことを知らないはずはないのだから非常に軽視している、といえるのだろう。唯物史観はその歴史過程の中で社会主義革命という決定的な分岐点がある。これは理論の中に大きなルビコン川が流れていて、その川を渡るか、渡らないかということは決定的な問題なのである。ロシアにおいてはいうまでもなく1917年10月にレーニンとボリシェヴィキはこのルビコン川を渡ったのである。それに対して西側では、社会主義革命は起こらなかった、つまりルビコン川を渡った人はいないのである。異なった人物Aと人物Bがいたとして、Aがルビコン川を渡り、Bが渡らなかったとすれば両者の状態を同じだとして比較することは出来ない。Bがルビコン川を渡った場合、Aと別な状態になるかどうかは分らないのである。つまり、このような指摘はそもそも無効である。


 「マルクス主義には絶対自由主義的なところと権威主義的な気質があり、その二つのうちどちらが優勢となるかは国の政治文化というものにかかっていた」これもマルクスの理論を皮相的にしか見ていないように思う。マルクスの言説を額面通りに受け取っているのではないだろうか。これは今まで考察してきたことであり、これからさらに論証していくことになるが、マルクス主義の絶対自由主義的なところは非常に観念的であり、それは頭の中だけにしか存在しないように思われる。これは現実の社会形態に適用されれば、権威主義的にしかならないものではないだろうか。少なくともそのような可能性を考慮しなければならない。絶対自由主義的、権威主義的のどちらかが優勢になるかは国の政治文化というものにかかっているかどうかは分らないのである。本質的にマルクスの理論は権威主義的ということになれば、国の政治文化の違いは関係ないことになる。「ロシアにおいては、その国の家産制的な遺産に適合する諸要素が、マルクス主義者の教義のなかで優勢となった」この問題についても、これはボリシェヴィキについていえることであり、メンシェヴィキやその他のマルクス主義者に対しては必ずしもそうとは言えないのではないだろうか。さらにボリシェヴィキがロシアの家産制的な性格に適合しているように見えるのは偶然であり、本質的には関係ないのではないだろうか。レーニンは少なくとも主観的には、ロシアの伝統を破壊し徹底的にそこから離れようとしたのである。それを実践するために家産制によく似た中央集権的な組織になったのは、ロシアの伝統があってもまたそのようなものがなくても同じだったのではないだろうか。


 「そのような説得、あるいは強制が理念に奉仕しているのか、そうではなく、理念の方がそのような支配を保証し合法化するのに役立っているのかを、確定できないからである。ボリシェヴィキに関しては、後者の場合であったと主張する強力な根拠がある」これはもっとも本質的で重要な論点であろう。確かにこれは確定できることではない。そしてボリシェヴィキの行動は表面上、理念の方がそのような支配を保証し合法化するのに役立っている―ようにしか見えない。私自身これらの問題に知識がなかった頃は、このように考えていたのである。しかし、多くの知識が得られるようになってからパイプスの見解とは逆に、理念とその理念を実現するための理論体系の方に注意が向けられるようになった。つまり、ボリシェヴィキの行動がそのように見えたとしても、マルクス主義イデオロギーを支配のための口実に利用していた―とみなすことは出来ない。ボリシェヴィキは心の底からマルクスの理論を信奉していたのである。これは膨大な資料から疑うことの出来ないものであろう。パイプスの見解はマルクスの理念と(理念だけ見ていたのでは逆に分らなくなる)それを実現するための理論体系、方法論に問題があるためにボリシェヴィキの行動がそのようなものに見えるのではないか、という視点がまったく存在しないように思われる。


 「イデオロギーは、副次的な要因とみなされなければならない。それは、恐らく、新しい支配階級の着想と思考様式ではあるが、支配階級の行動を決定したり、それを子孫に説明するところの一揃いの原則ではなかったのである。一般的に、ロシア革命の実際の経過について知るところが少なければ、それだけ、マルクス主義者の理念に支配的な影響力があったとみなしがちである」本論の立場は、「イデオロギーは副次的な要因とみなさなければならない」ということと真っ向から対立する。イデオロギーこそすべてといっても過言ではないのである。パイプスのイデオロギーに対する見解は皮相的であり、深部の構造への追求が少ないように見える。また、イデオロギーはその主体が絶えず意識して遂行するとは限らない。特に共産主義イデオロギーの場合は経済形態が決定的に拘束されるので、ハイエクの言う集産主義として全体主義的統制が強まっていく―このような体制イデオロギーが形成されるのである。その中に入ってしまうとイデオロギーに対しどのような思考、態度をとろうとも、イデオロギーの通りに行動しなければならないように駆り立てられるのである。パイプスのように反共主義者、あるいは共産主義に否定的な者の中の一部に、イデオロギーを極めて軽視する傾向があるが、否定的に捉えた共産主義とイデオロギー遂行との間の整合性があまり考えられていないのも不思議なことである。

 

 第3節 革命とテクノクラート

 

 ロシア革命研究の中で、中間管理職、テクノクラートなどを中心とした研究は実に少ない。これはマルクス主義、唯物史観がこれらの階級を極めて軽視、あるいは捨象して来たことと関係しているだろう。その少ない研究のなかのひとつが中嶋毅『テクノクラートと革命権力』である。中心課題である労働者自主管理の検討に入る前に革命とこのテクノクラートの問題を考察してみたい。


 1917年10月に革命を遂行したボリシェヴィキが旧体制から引き継いだのは、人口の八割を農民が占めるヨーロッパの後発資本主義社会であった。権力奪取ののちに新体制の基礎を建設しなければならなかったボリシェヴィキは、世界戦争から離脱するまでのあいだの戦争継続と経済復興という課題に直面したが、いずれの課題も帝政ロシアが残した近代工業技術水準を前提しなければその解決は困難であった。そもそもボリシェヴィキが依拠するイデオロギーは、近代資本主義社会が達成した科学技術と工業化をその重要な基礎のひとつとしていた。こうして現実に対処するための緊急の要請と社会主義建設の前提という長期的理念の二つの観点から、ソヴィエト権力は西欧科学技術の応用とそれに立脚した工業化とを追求しなければならなかったのである。19世紀末から20世紀初頭のロシア帝国は、ヨーロッパ諸国に比べれば大きく立ち遅れていたとはいえ、部分的にはすでに高度の工業技術水準に到達していた。ソヴィエト権力が再建しなければならなかったのは、それ自体の維持のために高度な技術的知識を必要とする大規模な工業だったのであり、工業を稼働させるためには、ソヴィエト権力は専門知識を有する技術者や専門家に依存せざるをえなかったのである。


 本書は、1917年のロシア革命から1928―29年のいわゆる「スターリン政治体制」形成期に至る時期の、ソヴィエト権力とロシア技術者集団との関係の変遷を分析すること、それを通じてソヴィエト.ロシアの工業化の方法ないし原理の変容過程を考察すること、を主要な課題としている。ここでとりあげる技術者集団、より広くは専門家集団は、政治的には体制が依拠するイデオロギーとは異質な要素であったにもかかわらず、それが政治体制の維持.発展にとって不可欠の存在であったために、「労働者国家」を標榜する国家の重要な構成部分となったのである。したがってこの集団に対する体制の対応を考察することは、政治革命後の社会構造の変化を分析するうえで重要な課題であると考えられる。一般的にはこのように理解されるとしても、工業化過程における体制と社会構造との関連を分析するうえで、本書のような特殊な課題を設定するに際しては、第一に対象とする時期の意義、第二に技術者集団を考察することの特有の意義、が問われなければならないであろう(44)。 太字強調 筆者


 これは『テクノクラートと革命権力』の序章の出だしである。これはロシア革命に関する研究書のごく一般的な書き出しであろう。これはこの書物に対してだけではなく、ごく一般的な見解、解釈に対する問題提起として考えてもらいたい。この段階で何かおかしいことがあるとは思われないだろう。少なくとも今まではこのような問題設定は一般的な常識だったのではないだろうか。ところが、この段階ですでに訳の分らないような異常な事態が起こっているのである。それが太字強調した部分の論理的な関係である。つまり「ボリシェヴィキが依拠するイデオロギーは、近代資本主義社会が達成した科学技術と工業化をその重要な基礎のひとつとしていた」でありながら「技術者集団、より広くは専門家集団は、政治的には体制が依拠するイデオロギーとは異質な要素であった」ということなのである。これはまったく常識的なことだが、「科学技術と工業化を重要なものとするイデオロギー」が「技術者集団、専門家集団はそのイデオロギーにとって異質な要素であった」などということがあるはずはないのである。もしこのようなイデオロギーが存在していたとしたら、超異常なものであり、1人の人間に向かって「北に行くのと同時に南に行け」と命じているようなものである。


 『テクノクラートと革命権力』の4頁に次のような記述がある「・・・すでに触れたように、ソヴィエト権力はこの社会集団(技術者集団)を体制が依拠するイデオロギーとは異質な存在と認識しながらもそれに依存せざるをえないという特殊な事情を有したために、革命前の政治エリートや経済エリートとは異なって、職能集団としての技術者集団は革命による断絶を免れえたと考えることができる」この依存せざるをえないという特殊な事情、とは一体何だろうか?これは特殊な事情ではなく、当たり前の事情ではないだろうか。つまり、この「特殊な事情」の内容とはどのようなものなのだろうか。それは当然「イデオロギーそのものが持つ事情」である。それ以外にありえないのではないだろうか。ところが、上記の引用文においてはそのようなイデオロギーそのものを問題視するような観点があまりなく、イデオロギーの置かれた客観的な特異な状況が、そのイデオロギーの遂行にとって特殊な事情を与えるようになった、というように解釈できるのである。


 この特殊な事情がなぜイデオロギーに内在するものではなく、あたかも外部から来ているようにみなされるのだろうか。それが本論の特に第7章 マルクス思想の宗教性 、において考察されてきたことである、反作用としての「魔術的因果性」すなわち「増幅された能力転移」である。労働者国家を標榜しているイデオロギーが、技術者集団、テクノクラートを異質な要素として認識する―これは当然のように思われるだろう。しかし、工業化を達成するためには高度な知識、技術が不可欠である。異質な階級であるテクノクラートから高度な知識、技術が労働者に能力転移する―このようなことが社会主義革命の結果として前提にされているからである。すなわち、特殊な事情の原因はすべてこのイデオロギーの側にある。当時のロシアの状況は何の関係もない。農民の比率がどうであろうが、資本主義の発展の度合いがどのくらいだろうが、戦争遂行の最中であろうが、まったく何の関係もないのである。しかし、自らを絶対の真理として認識しているイデオロギーにとって、現実の状況に直面した時、この絶対的な矛盾はどうしようもない事実として目の前に現れる。そこで、その矛盾の理由をイデオロギーの外部に求めざるをえなくなるのである。


 以上のことは「一般的にはこのように理解されるとしても・・・」ということと繋がっている。これはこの著作だけの問題ではなく、これ以外の膨大な文献、さらに広く普遍的にこのような見解が存在していることを意味している。この普遍的な見解の深層には「増幅された能力転移」という反作用としての「魔術的因果性」が存在しているのである。このイデオロギーを信奉する政治権力から技術者集団、テクノクラートは「是が非でも必要とされる存在」であるのと同時に「排斥される存在」として扱われることになるのである。

(41)エレーヌ・カレール・ダンコース『レーニンとは何だったか』石崎晴己 東松秀雄訳、藤原書店、2006年
ドミトリー・ヴォルコゴーノフ『トロツキー その政治的肖像 上・下』生田真司訳、朝日新聞社、1994年
リチャード・パイプス『ロシア革命史』西山克典訳、成文社、2000年
等を参照

(42)レーニン『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』高橋勝之 大沼作人訳、新日本出版社、1999年、8頁

(43)リチャード・パイプス『ロシア革命史』396,397頁

(44)中嶋毅『テクノクラートと革命権力』岩波書店、1999年、1,2頁

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<論文> マルクス主義の解剖学 12 


 『マルクス主義の解剖学』


 第7章 マルクス主義の宗教性


 第4節 マルクス主義の「呪詛」の構造

 

 以上の事を踏まえて、マルクス主義における「呪詛の論理」の構造を分析していくことにする。まず、はじめにトロツキーの有名な『ソ連はどこへ-裏切られた革命』から、レーニンの理論を題材にして検討してみよう。これはトロツキーもほとんど同様な考えだと思われる。


 レーニンによれば、国家の死滅は早くも収奪者の収奪のあとの翌日に、すなわち新しい体制がみずからの経済的、文化的課題に着手するまもないうちにはじまる。それらの課題の解決の途上でのひとつびとつの成功は、まさにそれ自体が国家の廃絶の、社会主義社会への国家の溶解の新たな一段階を意味する。この溶解の度合いが社会主義建設の深さと成功度の最上の指標である(37)。


 国家の死滅は、収奪者の収奪の後の翌日にはじまるのだという。これは文字どおりではなく、ひとつの象徴的な言い回しかもしれないが、革命の直後に国家の死滅がはじまる―と考えていたことは間違いない。今まで国家の死滅の問題に触れてこなかったが、国家は上部構造の最大のものといってよく、国家の死滅は上部構造の消滅と関連付けて考えるべきものである。そして、上部構造の消滅のためには階級対立を消滅させなければならず、それには土台内部において相互依存している頭脳労働と身体労働を統合しなければならないのである。それは社会システムの問題ではなく、情報伝達、情報処理、意思決定の能力の問題である、と論じられてきた。その能力とは「完全な兼任を達成できる能力」である。収奪者の収奪の翌日ということは、ほとんど国家の死滅は革命の結果として、因果的に結びつけられていると解釈できる。以上の論理連関から、社会主義革命の結果として、「完全な兼任を達成できる能力」への進展がはじまる―ということになる。


 ここでは大きく二つの問題がある。「新しい体制がみずからの経済的、文化的課題に着手する」とあるが、特に資本制生産様式の頭脳労働領域に対して、その知識や技術をどのように権力を握った階級に移行するのだろうか。収奪者とは当然、資本家(これは小規模経営者も含まれる)、さらにはブルジョワ政治家などであるが、テクノクラートや中間管理職は微妙な位置にある。場合によっては、これらも収奪者のなかに入ってしまうだろう。収奪者を収奪するとは、それらのものを抑圧し、反抗してきた場合には撲滅、抹殺するということも必然となる。そうなると、高度産業社会において不可欠なこれらの知識、技術をもった者たちを撲滅したら、どうやって権力を握ったプロレタリアートに知識や技術を移行するのだろうか。社会主義社会においては、プロレタリアートは資本主義社会よりも高度な生産力をもつ、とされている。ということは、当然高度な技術、知識を持っているということが大前提となるだろう。これらはどこからもたらされるのだろうか。そうなると、抑圧、収奪、撲滅、抹殺したものの能力が、そうすることによってプロレタリアートに「能力転移」すると考えなければならないことになる。


 もちろん、これは現実にはありえないことである。これはまさに前節で検討した、Bに虐げられてきたAがBを殺害することにより、Bの能力がAに乗り移る―「能力転移」するということと同じである。・・・それならば、以下の事を考慮した場合にそれはどのようになるだろうか。すなわち、革命を指導する革命家が「能力転移」の問題をよく理解していたと仮定しよう。プロレタリアートが権力を握った時、どうしても経営力や高度な技術、知識がプロレタリアートにないことは如何ともしがたい。革命後に資本家やテクノクラートを抑圧、撲滅してしまったのではプロレタリアートにそのことを教える人々がいなくなってしまうだろう。それならば、革命を起こす以前にプロレタリアートにその知識、技術を持たせるよう訓練しておかなくてはならない。そこで革命家は、革命を起こす以前にプロレタリアートにそのような訓練を施し、教育することにした。現実にはこれはほとんど不可能なことだと思われるが、そのようなことが十分になされたものと仮定する。これならば「能力転移」を考える必要はないということになる。


 しかし、ここで第二の問題が生じてくるのである。革命家はプロレタリアートにその能力が十分に備わったということを確信し、社会主義革命を勃発させた。資本家とその勢力は抑圧され、その財産は収奪された。また多くの人々が抹殺された。そして、プロレタリアートはその生産体制を自らのものとし、社会主義社会の建設に乗り出したのである。―この結果はどうなるかは本論の今までの考察において解明されてきたことである。これは直ちに情報伝達、情報処理のコストが増大し、頭脳労働量の爆発的な増大が起り、身体労働時間が圧迫され、生産力は破壊されてしまうのである。プロレタリアートに完全に頭脳労働の能力が備わっていたとしても、それは以前の資本家、テクノクラート、中間管理職と生物学的な基本能力は同じだからである。つまり、「能力転移」の問題を完全にクリア出来たとしても、「情報伝達、情報処理のコスト増大」の問題は絶対に解決されない。しかし、革命によって社会主義社会に向かう、国家は死滅に向かう、ということは革命によって、そのような生物学的基本能力も飛躍的に向上する、ということを意味するのである。


 以上のことを総合すると、引用文の意味は、収奪者を収奪する―革命を起こすと収奪者の能力がプロレタリアートに「能力転移」する。しかも、それは飛躍的に向上し転移するということになる。それはその経済学的範囲の能力だけでなく、生物学的基本能力も飛躍的に向上しつつそうなるということである。すなわち、能力が増幅されて転移する「増幅された能力転移」が起こるということになる。これはこれ特有の「敵を撲滅すれば救われる」という「呪詛の論理」による呪詛宗教だといえるのではないだろうか。

 

 第5節 反作用としての「魔術的因果性」

 

 マルクス主義は、世界を解釈するだけでなく、世界を変革することが重要であるとみなしている。その解釈も変革する手段も唯物論にもとづく、科学的なものであるということである。それらは当然、「科学的因果性」にもとづくものであり、「魔術的因果性」を厳しく退けている。マルクス主義の基本には科学的世界観があり、それは今まで広く常識的なことであった。ところが、現存した社会主義体制が崩壊した現代では、それは著しく揺らぎ、それは魔術的なものではなかったかという批判が生じている。それでは一体どこに問題があるのだろうか?その核心となるポイントが押さえられないと、明確な理解には達しないだろう。


 世界を「科学的因果性」によって解釈する―まず、最初にこれは認められることにしよう。社会学的な領域に、このような概念を厳密に当てはめることは不可能であるが、それ以前の思想や理論から「科学的因果性」が、相対的にみてより重視されていることは間違いない。それにもとづいて、世界を変革するための手段を考察する。これも、「科学的因果性」にもとづいたものである―これも認められることにしよう。その手段がすなわち「社会主義革命」であることはいうまでもない。それでは、世界を変革するための「魔術的因果性」による手段とはどのようなものが考えられるだろうか。これこそマルクスが厳しく糾弾した「宗教の祈りなどによる救済」である。さらに、このようなことは論じられたことはないが呪詛による変革がある。ブルジョワジーに対して呪いをかけ復讐する、というようなことである。これらは、変革しようとする主体が世界に対して働きかけること―「作用」することである。その「作用」の在り方が「科学的因果性」にもとづいているか、「魔術的因果性」にもとづいているか、という違いである。これらの解釈と作用を考えているかぎり、マルクス主義は「科学的因果性」にもとづいているもののように見える。ところが、問題はその次にある。


 今まで考察してきたとおり、社会主義革命の結果として「能力転移」さらには「増幅された能力転移」が想定されているのである。これらが「魔術的因果性」によるものであることはもはやいうまでもない。これらは作用に対する反作用であると考えることができるだろう。すなわち、世界を変革する、世界に作用する時は「科学的因果性」であり、その反作用が「魔術的因果性」になっているのである。これが非常な盲点になっている。作用としての「魔術的因果性」は、誰でも簡単にそのようなものであることが理解される。しかし、反作用は理論の外側にあり、マルクス主義は統一的に「科学的因果性」によっているのだから、世界に働きかけることの反応は「科学的因果性」の枠の中だけしかとらえることが出来ない。そのような先入観の世界に限定されてしまうのである。


 この反作用としての「魔術的因果性」の構成は、ひとつは「能力転移」であり、もうひとつはそれが「増幅されたものである」ということにある。問題の本体は後者、すなわち「完全な兼任を達成できる能力」に増幅されることにある。「能力転移」はある程度の対処は可能なのである。今まで検討してきたように、この能力上の途方もない要請は「均等割り振りや完全な兼任の技術的問題」から生じてきている。社会主義革命の結果、社会主義から共産主義社会へ向かうという歴史的に必然とされる過程は、進歩的、法則的な歴史観や階級闘争の弁証法的な発展や資本主義社会の矛盾や行き詰まり、という多くの論理から導き出されている。この共産主義社会へ向かうという展望と論理の中に、今までほとんど意識されたことがなく、論じられたこともない「均等割り振りや完全な兼任の技術的問題」が存在する。これが無意識化されていることによって、これを思考する主体は能力問題を意識することなく社会主義革命の後の過程も、「科学的因果性」に従っていると思い込むことになる。しかし、それが決定的な誤謬なのである。「科学的因果性」と思っていたものは実は「魔術的因果性」だったのであり、思考過程の中には「科学的因果性」と「魔術的因果性」の混成体が生じてきている。


 最初の段階で、マルクス主義は世界を「科学的因果性」として解釈する―ということを認めた。ところが、反作用としての「魔術的因果性」を通過してからそれにもとづいて世界の再解釈が行われる。この再解釈の段階で、すでにそれは「魔術的因果性」が混入しているのである。そしてこの再解釈に従って、社会主義革命が思考されることになる。それは作用としては「科学的因果性」として考えられるが、反作用としての「魔術的因果性」を前提としたものとなる。これはあらゆる論理の中でももっとも震撼すべきものである。すなわち敵の階級を収奪すれば収奪するほど、撲滅すれば撲滅するほど、革命の主体は素晴らしい能力を持った人類へ発展していくことができる―このような論理はナチズムにおいてすら存在しないのである。ただし、これは明確に意識されることは絶対になく、深層心理の中に埋め込まれた論理なのである。(それに対して、ナチズムの人種主義イデオロギーは明確に意識されたものだという違いはある)。社会主義革命、共産主義革命と「増幅された能力転移」は原理的に一体であることを再度、強調しておきたい。


 マルクス主義の体系は「均等割り振りや完全な兼任を達成できる能力」―このような能力問題を隠蔽することが最大の課題なのである。そのためには土台の変革を観念的、抽象的に扱い、絶対に具体的な思考へと向かわせないことなのである。『資本論』において経済機能構造論に不可欠な頭脳労働形態、頭脳労働価値を徹底的に否定、捨象したということは、まさにこれが社会科学的理論体系を偽装した完全な一貫したイデオロギー体系であることを物語っている。以上のことから、マルクス主義の伝統的な救済宗教に対する姿勢がどれほど欺瞞に満ちたものであるか明らかになった。伝統的な救済宗教における作用としての「魔術的因果性」を強調して批判することは、自らの反作用としての「魔術的因果性」から注意をそらせ、隠蔽するための巧妙な手段でもあるだろう。

 

 第6節 認識と因果の両義性

 

 これまで反作用としての「魔術的因果性」を考察してきた。しかし、マルクス主義関係の多くの文献では社会主義革命以後の因果的発展だけでなく、すでにそのような能力がプロレタリアートに備わっている―というような論述が多く見受けられる。もちろん、これは直接にその能力に言及しているわけではない―要請された生物学的能力は社会的能力に転化させられていて、抽象的な深層心理の中に埋没させられている。これは資本主義社会の段階において、すでにそのような能力がプロレタリアートに存在している、あるいは胚胎している、という認識である。もちろんこれは事実認識として完全な誤りであるわけだが、この認識か因果性か、という問題は非常に曖昧であり両義的な性格を持っているといえるだろう。この曖昧さが生命線であるともいえるのだが、これはそのどちらかに重点を置いても、あるいはそれらが統合されているような形態だったとしても、結論はまったく同じだということは一目瞭然であろう。ここでいくつかその事例を引用し、詳しく考察していくことにする。


 ・・・第三に、社会的労働による共同的生産では、生産過程は、自由な諸個人によって意識的計画的に統御される。すなわち、「社会化された人間、アソシエイトした生産者たちが、自分たちと自然との物質代謝を、盲目的な力としてのそれによって支配されることをやめて、合理的に規制し自分たちの共同的統御のもとに置く」のである。ここで肝心なのは、計画的・共同的統御の主体がアソシエイトした諸個人であって、彼らから自立化した国家や国家機関等々ではありえない、ということである。


 第四に、共産主義社会における生産は、個人的・分散的な生産にたいする、多数の諸個人の協働的な労働による大規模生産という意味での「社会的生産」である。資本主義的生産のもとで成立した大工業はすでに、科学の意識的応用と多数の諸個人の協働とによって特徴づけられるまったく社会的な過程であるが、しかしその科学的性格と社会的性格とは、労働する諸個人から取り上げられて、資本のものとなっている。これにたいして、共産主義社会のもとでの社会的生産は、主体としての自由な諸個人が意識的にアソシエイトして行なう生産であり、彼らが自然を、自らの普遍的な対象とし、科学にもとつく彼らの協働によって全面的に統御するのである。


 第五に、共産主義社会では、生産手段にたいする私的所有が完全に廃棄されている。資本主義社会における社会的生産はすでに、事実上、「生産手段にたいする労働者の社会的占有」をもたらしているのであって、「少数者の大量所有」によって蔽い隠されているこの潜在的な「社会的所有」は、資本主義的私的所有の廃棄によって顕在化する。この社会的所有の意味は、アソシエイトした多数の諸個人が、大規模な生産手段、労働の客体的諸条件にたいして自己のものにたいする様態で関わる、ということである。それは、「個人」とは区別される「社会」、たとえば国家、自治体、等々による所有、という意味ではまったくない。生産手段の国有は、それ自体としては、けっして生産手段の社会的所有ではないのである(38)。


 資本主義社会における社会的生産はすでに、事実上、「生産手段に対する労働者の社会的占有」をもたらしているのである―労働者はこの生産手段に関する資本家、経営者、中間管理職、技術者、事務職などの情報を司ってはいないのだから、これは完全に事実に反している。そもそもこのようなことは議論の対象にもなりえないだろう。だから、「少数者の大量所有」によって覆い隠されているわけでもないし、資本主義的私的所有の廃棄によって顕在化などするはずはないのである。まさにこれがロシア革命の時、レーニンとボリシェヴィキがやったことなのであり、当然、資本家が駆逐されても労働者の社会的占有は顕在化などしなかったのである。このような歴然とした歴史的現実をまったく見ようとしないのは、この理論を無批判的に信奉している証拠である。


 以上の引用文から読み取れる事は、共産主義社会を構成する個人は社会主義革命の結果、新しく出現するというよりも、すでに資本主義社会の中に存在しているということである。


 ・・・ところが、資本主義的工場生産において労働者たちは、自己の仕事の成果―それは大きな製品のごくごく小さな部品の流れ作業の中の所産でしかない―を見て、それを享受することなど、つまり「自己活動」などはまったく不可能である。いわゆる「死せる労働」である。「個人が今なお生産力および自己自身の生活と関わる唯一の連関は労働である。そして、個人においてこの労働からは、自己活動という幻想は一切失われてしまった」(ドイツ・イデオロギーから)。自己実現の可能性が一切ないなら、集団でそれを取り返して、「生ける労働」を、つまり芸術家が作品を作るように、喜びに満ちた労働を集団次元で実現する以外にないということになる。そのためには、社会の隅々にまで発展した(マルクスの表現でいえば「全体性にまで発展した」)生産力を奪取しなければならない。


 奪取すれば、芸術家のように自由な創造が可能となる。「こうした生産力の奪取はまさに、物質的生産手段に相応する個人の能力をさらに発展させることになる。生産手段の全体を奪取するということは、その点だけから見ても、個人たち自身に潜む能力の全体性を発展させることなのである」(ドイツ・イデオロギーから)(39)。


 「奪取すれば、芸術家のように自由な創造が可能となる」大規模工業のこのような労働と芸術家の創作活動と同列には論じられない、ということを説明しなければならないのだろうか。芸術家の創作活動はその大部分が個人によるものであり、そして外部から合目的的に規制されてはいないのである。ここでも重要なことは工業生産物の生産と芸術作品の創作に関わる人数の違い、すなわち脳の数の違いである。それは非常に多数の脳が関わる工業生産とひとつの脳によって創作される芸術作品の決定的な違いである。


 少し例外を考察してみると、芸術家の創作も複数の人間が関わる場合もある。ルネッサンスの画家ラファエロは多くの弟子を使い壁画を描いている。しかし、弟子たちはまったく独立的に描いているわけではなく、ラファエロの指示、監督によって描いているのである。中心になるものはあくまでひとつの脳であり、そこには階層性が生じてきている。現代の美術家クリストは非常に大規模な作品を作ることで知られている。それは長い岩の海岸線や大きな建造物を丸ごと布で包んでしまう、島を布で囲んでしまう、砂漠や田園地帯に1,000個以上の巨大な傘を立てる―このような環境を変えてしまうような作品は見る者に新鮮な衝撃を与える。この作品の制作に関わる人々は非常に多数になる。建築、土木関係者やときには数百人のボランティアによってこれらの作品は作り上げられるのである。しかし、これらの人々は作品の制作自体に主体的に関わっているわけではない―あくまで作品の構想を練り、具体的な指示を与えているのはクリストという個人であり、それはひとつの脳なのである。制作に協力した人々はクリストの手足となって働いているのである。


 大規模工業の労働者ひとりひとりが主体的な芸術家になり、生産物を生産するということと、資本家から生産手段を奪取するということとは何の関係もないことは明々白々ではないだろうか。大規模工業の労働者が生産物を芸術作品のように制作するためには、その生産に関わる多数の労働者の脳がひとつになるような超絶した新人類にならなければならないだろう。すなわち、完全な兼任を達成できる能力を持った人類である。まさにこれが資本家から生産手段を奪取すれば、そのような能力を獲得することができる―増幅された能力転移が起こるという反作用としての「魔術的因果性」なのである。


 また、このような能力が資本主義社会の労働者にすでに備わっているとすれば、資本家経営の工場などさっさと辞めてしまい、その労働者だけで新しく起業すれば良いだけなのである。資本家経営の工場よりも遥かに効率の良い、優れた生産物を生産できる―また労働者自身が芸術家の創作活動のような労働を行なえるだろう。以上の考察から、このもっともらしい引用文は大変な魔術的論理によって成り立っていることがわかるのである。


 資本主義的生産様式の特徴は次のことにある。第一に、労働者は労働力の売買契約によって「必要労働時間」を超えて働くこと「剰余労働時間」を指示されるのだが、その結果として生み出される「剰余価値」は資本家にとって「利潤」として所得されるのであり、「利潤」の獲得こそが資本主義的生産様式の目的となる。第二に、個々の資本家は、他の資本家との競争の中で「特別利潤」を確保するために、自分の企業における「労働の生産力」を発展させることで生産物の個別的価値を引き下げようとするのだが、その意図せざる結果として、社会的に見れば「必要労働時間」部分が短縮され、「剰余労働時間」部分が相対的に延長されて、「相対的剰余価値」が生産されることになる。


 つまり、資本主義的生産様式は絶えず必要労働時間を引き下げ、その結果として、可能態としての「自由な時間」を創出している、ということである。もちろんこの「自由な時間」は、労働者にとって見れば、剰余労働を強制される時間に他ならないのであって、その分はそのまま、資本家その他の非労働者にとっての「自由な時間」に転化されている。搾取とは、社会的に創出された「自由な時間」を支配階級が独占的に享受する(他方で、被支配階級には長時間労働を強制する)、という時間の不公正な分配のことなのである。それをマルクスは、「文明の横領」と表現している。「自由な時間とは、すべて、自由な発展のための時間であるから、資本家は、労働者にとって創りだされた、社会のための自由な時間、すなわち文明を、横領するのである」


 しかし、横領されているということは、すべての人の自由時間となりうるだけのものがすでに現に生み出されているということである。言い換えれば、資本主義がもたらしているのはたしかに労働者階級の「疎外」なのだが、それは途方もない「疎外」なのであって、しかも反転しさえすれば、途方もない豊かさをすべての人にもたらしうるような、そのような「疎外」なのである。したがって、問題は、この「まだ転倒した逆立ちさせられた形態」をどのようにしたら反転させることができるか、ということにある(40)。太字強調 筆者


 以上の文章を検討してみよう。第一段落の部分は特に問題はない。これはマルクスの資本主義的生産様式を分析した大きな成果であろう。問題は第二段落で生じている。「必要労働時間を引き下げその結果として、可能態としての「自由な時間」を創出している」としているが、今まで検討してきたことからわかるように、可能態としての「自由な時間」など創出されてはいないのである。これらはすべて、頭脳労働形態や頭脳労働価値をまったく無視することから生じている。「その分はそのまま、資本家その他の非労働者にとっての「自由な時間」に転化されている」部分的にはそのようにいえる状況があったかもしれない(特にマルクスの時代においては)しかし、現代においてはほとんど当てはまらないだろう。そもそも、「自由な時間」など存在しないわけだし、資本と経営の分離、賃金労働者でも株を持ち資本家でもあるという状況がある。「文明の横領」などといえるものではないのである。


 しかし、最大の問題は第三段落である。「すべての人が自由時間となりうるだけのものはすでに現に生み出されているということである」このことは、頭脳労働が果たしてきた機能を頭脳労働が存在しなくても成り立つ、という途方もない誤謬から生じてきている。マルクスはヘーゲルを「頭で逆立ちしている」と批判したが、マルクスはその正反対であり、頭がなくても経済は成り立つ、といっているようなものである。あるいは、これが本論で展開されてきたことだが―労働者が完全な兼任を達成できる能力を持てるようになる、あるいは、そのような情報伝達、情報処理、意思決定の能力を持っている、ということになる。第2節「呪詛の論理」に対する反論、の反論②に対する応答として、社会主義革命から共産主義社会に至る過程で具体的なものは資本家階級に対する物理的攻撃しかない。それ以外は具体性がなく、短絡的な論理に陥っていく、ということが問題にされた。ここではまさに「反転しさえすれば、すべての人に途方もない豊かさをもたらす」という単純極まりない論理しかないことがわかる。ここでいう「反転」とは、いうまでもなく現実には社会主義革命であり、資本家階級に対する物理的攻撃を意味する―それ以外にはありえないのである―つまり、ここでいわれている事はロシア革命の再現でしかないだろう。


 しかし、本論での結論は明らかである「反転」した瞬間に生産力は粉々に破壊し尽くされる。地獄の破滅が待っているだけなのである。


(37)トロツキー『ソ連はどこへ-裏切られた革命』藤井一行訳、窓社、1988年、106頁


(38)大谷禎之介  他『ソ連の「社会主義」とは何だったのか』大月書店、1996年、7,8頁


(39)マルクス、エンゲルス『ドイツ・イデオロギー、哲学の貧困、コミュニスト宣言』今村仁司 鈴木 直 三島憲一 塚原史 麻生博之訳、筑摩書房、2008年、442頁


(40)植村邦彦『マルクスのアクチュアリティ』新泉社、2006年、188,189頁



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<論文> マルクス主義の解剖学 11 

 『マルクス主義の解剖学』


 第7章 マルクス主義の宗教性

 

 ここでは今までの考察を踏まえて、マルクス主義の宗教性を哲学的、科学的に追求していくことにしたい。これは「マルクス主義の解剖学」の中心になるものである。
 

 第1節 マルクス主義の宗教的性格

 

 これまで、マルクス主義に対する宗教性を論じた考察、議論が数多くなされてきた。ポパーによる歴史信仰としてのマルクス主義、あるいはキリスト教との類似が指摘されたりもした。小室直樹はユダヤ教との類似を強調している。そのいくつかの理由を挙げると。


 「ユダヤ教においては、神との契約が宗教の内容をなし、これが法でもあり、規範でもある。しかも、ユダヤの政治は、本質的に神政政治だから、それがまた、政治の内容をもなす。そして、それが、法であり、規範であることからして、それはまた、社会構造の根幹をなす」「承知のように、マルクス主義においては、歴史を段階的に分けて、原始共産制、古代奴隷制、封建制、資本制、社会主義ないし共産主義とするが、この考え方は、まったくユダヤ教的であって、他の宗教からは出てこない」さらに、魂の救済とか何とかということがなくて、現世救済であること。個人救済ではなくて、契約による集団救済だということ。この二点でもユダヤ教はマルクス主義と似ているのです。マルクス主義の中の千年王国論(王道楽土がいつか必ず地上に現れるとする考え)がユダヤ教とそっくりだということはわかります。ユダヤの預言者たちが神と契約して、艱難辛苦の末に、ユダヤ民族を約束の地に導く、というプログラムは、革命家が民衆を導いて社会主義革命ののち無階級社会を実現するというのと同じだということですね(34)。


 いうまでもなく、マルクス主義は無神論であり、宗教を阿片であるとし階級抑圧の手段であるとして強くこれを退ける。宗教の定義をどのようなものとみなすかということは、非常に難しいことであるが無神論であるから宗教ではない、ということにはならない。いうまでもなく仏教や儒教などは無神論の宗教である。マルクス主義の側からすると、当然自分達は宗教とは正反対の科学的な立場に立っていると考えている。それは歴史の発展が法則的に進展するということ、そして何よりも資本制生産様式の唯物論的基盤に立ったその運動法則の分析により、資本主義が行き詰まるのは科学的に立証できるのだ―ということである。これに対して、次のような批判がなされてきた。資本主義の運動法則は、ある程度の科学的な根拠に立ったものだということは認められる。しかし、だからといって資本主義の崩壊が確定しているわけではない。マルクスの想定は無制約な資本主義の場合であって、さまざまな社会主義的な政策、法的な規制によって資本主義の範囲内において制御することは可能なのである。社会主義の到来を科学的に確定されたものとみなすことが、すなわち歴史信仰であり、それが宗教なのだ、と。また、メイリアは社会主義そのものが明確に定義されることのない、実態として存在したことのない架空のものであり、救済宗教における呪文のようなものである、といっている(35)。


 本論においては、以上のような既出の問題に加えて、今まで論じられたことのない新しい側面を追求したいと思う。それはマルクス主義の根本をなす救済の論理形式が、伝統的な救済宗教の論理形式とは異なるという点である。伝統的な救済宗教の論理形式とは、「信じるものは救われる」「神の定めた規範に従って生きる者は、将来必ず神の国に入ることができる」簡単にいえばこのようなものである。これはユダヤ教、キリスト教などの一神教におけるもので、仏教は「修業によって仏になり、そのことによって救済される」という自力救済の要素が強い。ところが、マルクス主義の救済の論理形式は「革命を起こし、ブルジョワジーとその勢力を打倒、撲滅すれば、素晴らしい共産主義の社会を築くことができる」ということである。救済宗教の論理形式が「信じるものは救われる」のに対して、マルクス主義は「敵を撲滅すれば救われる」という、いわば呪詛宗教の論理形式だという点にある。つまり、マルクス主義は多くの論者によって、救済宗教との類似点が指摘されてきたわけだが、その要素に加えてこれらの救済宗教にはほとんど存在しない、呪詛宗教としての側面をもっているということなのである。


 そうはいってみても、伝統的な救済宗教も歴史的に多くの残虐な行為をしてきた。大航海時代、スペインやポルトガルは中南米において、原住民がキリスト教と余りに異なる宗教を奉じていたからという理由で、虐殺を行ってきた。キリスト教内部における、カトリックとプロテスタントの宗教戦争など、枚挙にいとまかないだろう。それに比べて、マルクス主義における救済は、初期の資本主義形成期において特にひどかった、ブルジョワジーのプロレタリアートに対する搾取、労働時間、労働形態の状態から救い出そうとする目的があった。初期においては弱者救済の意図があったのである。そのことから、マルクス主義の「呪詛の論理」は非常に目立たないものになっていた。しかし、これは純論理的に冷静になって比較してみると、大変な問題だということがわかってくる。それは、このようなことを想定してみればわかりやすい。もし、キリスト教の中心となる教義に「異教徒を撲滅すれば、神の国に入ることができる」というものが存在していたとしたら、どのようなことになっていただろうか。歴史的に行われたキリスト教の残虐行為は、現実の何十倍、何百倍という規模になっていたかもしれない。それはまったく桁外れの規模になっていただろう。現在の世界においても、キリスト教国とそれ以外の国との間に大変な緊張状態、冷戦のような状態を生み出していたかもしれない。マルクスの活動した時代において、プロレタリアートの力はブルジョワジーとその勢力に対してきわめて弱かったので、「呪詛の論理」は正当であり、現状を改善するために当然であるかのようにみなされていたのではないだろうか。ところが、現実にブルジョワジーとプロレタリアートの力関係が逆転した時に「呪詛の論理」はその真の姿を現したのである。・・・いうまでもなく、これはロシア革命を意味している。

 

 第2節 「呪詛の論理」に対する反論

 

 マルクス主義は「呪詛の論理」による呪詛宗教である。これに対しては当然、反論が予想される。その反論に対応する形で考察を進めていきたい。


 反論① 革命において、対抗する階級、勢力を打倒、抑圧、あるいは撲滅するのは、歴史的にみても自然なことである。フランス革命の時に、王制を打倒するために立ち上がった民衆は「呪詛の論理」によって立ち上がった、ということになってしまうのだろうか。あるいは、明治維新の時、幕府とその勢力を打倒するために活動した維新勢力は、「呪詛の論理」に従って行動していたのだろうか。これらを「呪詛の論理」と呼んでしまえば、このような歴史的な変化、革新はほとんどそのようなものになってしまうだろう。これは特殊な概念を拡大解釈し、一般化した不当なものではないだろうか。


 反論② マルクスは「資本家階級を撲滅すれば素晴らしい共産主義の社会を築ける」というような短絡的な表現はしていない。革命において支配階級を打倒することは必然であり、それは新しい社会を築くための必要条件である。しかし、あくまで必要条件の1つなのであり、そこから社会主義社会、共産主義社会へと段階を経た社会建設の努力が始まるのである。その具体的な青写真が描かれていないという批判に対しては、あまりに具体的な姿を描くことはかえって空想的なものにしかならないからである、と答えられる。資本主義社会の分析からそれを止揚した社会の姿は示されているのであり、そのような「呪詛の論理」などというものは存在しない。


 ―例えば、以上のような反論が予想されるだろう。反論①にはこのように答えることができよう。社会主義革命は階級を別の内容に置き換えるものではなく、階級そのものを廃絶するためのものである、ということである。社会主義革命以外の革新、革命は階級構造そのものを廃絶、破壊するようなものではない。明治維新を例にとってみれば、幕潘体制から明治政府と王制復古による立憲君主制へ移行したが、大きな意味における階級構造は維持されているとみなすことができるだろう。その統治構造、システムの内容が変更されたということである。階級構造の消滅は、土台だけでなく上部構造においても同様のことが生ずる。 「均等割り振り」で問題にされたような情報伝達、情報処理、意思決定の途方もない負荷が生じるのである。これによって社会体制は完全な機能不全に陥ってしまうだろう。社会主義革命とそれ以外の革新、革命との間には絶対的な差異が存在するのである。


 反論②に対しては慎重な応答が求められる。確かに革命において支配階級を打倒することは必然であり、そのことにより「呪詛の論理」だとみなすことはできない。しかし、社会主義革命から共産主義社会に至るための具体的な青写真を描くとかえって空想的なものになる、というのは具体性の意味を履き違えているのである。


 資本主義社会を唯物論的に把握、分析し価値形態、剰余価値、搾取、疎外の否定形、あるいは止揚された社会を想定しても、それで具体性を付与することにはならない。そのような止揚された社会が最初に分析された資本主義社会のレベルで、具体的にどのようなものであるかが示されなければならないのである。本論で主張されてきたことは身体労働と相互依存している頭脳労働を統合しなければならず、そのためには「均等割り振り」のような技術的な問題を具体的に考えていかなければならないということである。マルクスの頭脳労働捨象はこの具体性の道を破壊している。そうなると社会主義革命から共産主義社会に至る過程の中で完全に具体的なものは、資本家階級に対する物理的攻撃しかない。それ以外のことはどれだけ追求しても抽象的、観念的なものにとどまってしまうのである。そうなるとマルクス主義者、特に革命を遂行する段階の革命家などはどんどん短絡的な論理に陥っていく・・・最終的には「資本家階級を撲滅すれば素晴らしい共産主義の社会が築ける」という論理になってしまうのである。このことは再度考察することにしたい。

 

 第3節 「能力転移」と「魔術的因果性」

 

 マルクス主義の哲学的な基盤はいうまでもなく唯物論であり、「呪詛の論理」とは正反対のものであるはずである。マルクスは迷信や宗教的な信念を厳しく排撃した。それは科学的な世界観にもとづくものである―マルクスの著作においては繰り返しそのことが述べられている。社会主義革命から未来社会に至る展望に、そのような「呪詛の論理」などというものが入り込む余地はまったくない。これが今までの一般的な常識であっただろう。表面上の論理において、確かにこのようなものであり、宗教的な信念や魔術的な論理などは、そこには存在しないように思える。ポパーは資本主義社会の行き詰まりから社会主義革命が起り、社会主義、共産主義へ至るという展望に対して、その蓋然性の低さを強調し、マルクスは過剰な信念を歴史法則に対して持っている―このように批判した。その意味で歴史法則信仰であるといったのであるが、社会主義革命から社会主義、共産主義社会に至る論理そのものが「呪詛の論理」ともいうべき魔術的なものである、とはまったく考えていない。この問題を、これから掘り下げて追及していくことにしたい。そのために、今までほとんど存在したことのない概念を検討する。それが「能力転移」である。


 「能力転移」とはいかなるものだろうか。1960年代、イギリスのテレビ番組に人形劇のシリーズがあった。「サンダーバード」「キャップテン・スカーレット」といった番組である。その中に「ジョー90」というものがあった。この番組の設定は、主人公の9歳の男の子が、養父となった大学教授が発明した能力転送装置、ビッグラット(BIGRAT)―周りを囲む球形の枠が回転し、磁気テープに記録された各分野のプロフェッショナルの能力を、中央の椅子に座った別の人間の脳に外科的手段を経ずに転送する機能をもつ―により高度な能力を持ち諜報機関のスパイとなり、時には「子供だからノーパスで通れるところ」「小さな子供だから入れる所」で活躍する。当然これはSFであり、現実にはありえないことである。ある特定の能力を持つためには、感覚器官から入ってきた情報を咀嚼し、それを繰り返し訓練するといったプロセスが必要になる。それもその人の能力ポテンシャルの限界の範囲内である。「能力転移」とはこのような正常なプロセスを踏むことなく、ある場所、ある人物から別の人物へ能力が移動することである。このSFテレビ番組「ジョー90」も「能力転移」の一例であるといえる。


 ここで別の事例を考えてみよう。ある人物Aが、日常生活、例えば仕事で密接に関わっている別の人物Bに常日頃、非常に虐げられてきたとしよう。Bは仕事上の上司になり、仕事の上でAにはない優れた能力を持っていた。それが原因のひとつでもあるが、AはBに搾取的に使われていたのである。AにはBに対する恨みが蓄積されていった。自分の置かれている状況にも我慢がならなくなった。ここから解放されるために、AはBに対する殺意を抱くようになった。そしてある時、ついにAはBを殺害するに至ったのである。このことによりAはBから解放されることになった。当然、別の深刻な事態が生じているのであるが、そのことは別として、この解放自体は単純な事実としての事実認識としては正しいといえるだろう。ところが、Aにはもうひとつの動機があった。それは自分にはない仕事上の優れたBの能力が、Bを殺害することにより、自分に乗り移ると思い込んでいたのである。つまり、「能力転移」が起こると考えていたわけである。当然、これは事実認識として誤りである。もし、このような事例が存在していたとしたら、精神病理学の対象になるだろう。しかし、個人レベルにおいてこのような動機が存在したということは、ほとんど聞いたことがない。もし、このような動機を持つようなら、それ以前にその人の精神状態が問題とされていたに違いない。


 次に「魔術的因果性」とはどのようなものだろうか。これは、ユング心理学(36)の用語なのであるが、ユング心理学の文脈とは切り離して考察していくことにする。この対概念として「科学的因果性」を置いてみることにする。このような例を考えてみよう。現代の医学では解明出来ない原因不明の病気にかかっている人がいたとする。病気を治す力があるとみなされている祈祷師が、その人の病気が治るように祈祷した。そうしたら、その祈祷が終わると、たちまちその人の病気が快方に向かった。このような出来事に対してどのように解釈するだろうか。その祈祷が原因となり、病気の人が快方に向かう、という結果となって表れた。これが「魔術的因果性」である。これに対して「科学的因果性」の立場は、この祈祷師が祈祷をするという行為と、病人の病気が治る、という現象の間には、物理学的、熱力学的、化学的、生物学的な因果関係はない。その病気の人が、自分は祈祷師の祈祷を受けているという事実を知っていたとすれば、何らかの心理的な影響を受け、その結果病気に影響を及ぼすということは考えられないこともない。しかし、その事実を知っていないとすれば、いかなる因果関係も両者には存在しない。つまり、「科学的因果性」の立場からすれば、祈祷の結果病気が治ったということはまったくの偶然にすぎない。


 脳科学、心脳問題の立場から考察すると、病気の人に対する治癒の念というのは、祈祷師の脳内における神経活動と、その結果立ち上がってきたクオリア、意識であり、病気の人に向けられた志向性である。その祈祷師の身体の身振りというものもあるが、それが直接病人に何らかの作用を及ぼすということではない。その意識がどのようなものであったとしても、それは脳内における神経活動、神経伝達物質などの状態であり、それは脳外に対して閉じられた系である。脳外に対して作用を及ぼすためには、末梢神経を通じて筋肉を動かし、何らかの物理的な状態に変換しなければならない。これが一連の「科学的因果性」としてみなされるものである。祈祷師の意識、志向性が病人の生物学的状態に対して、直接作用を及ぼすということは「科学的因果性」では説明のつかない、それを超えたものとなる。当然、マルクス主義の哲学的な立場は、この「科学的因果性」であり、「魔術的因果性」は厳しく退けられているのである。先の例は、病人の病気を治すという倫理的にいえば「善」の行為であり、正の行為であるといえるだろう。一般的に呪い、呪詛と呼ばれているものはこの「魔術的因果性」によって、それとは逆に対象となる人を病気にする、事故に会わせるというような倫理的にいえば「悪」の行為であり、負の行為であるということになる。

(34)橋爪大三郎 副島隆彦『小室直樹の学問と思想』弓立社、1992年、39,40頁


(35)マーティン・メイリア『ソヴィエトの悲劇 上』白須英子訳、草思社、1997年、42~46頁


(36)イラ・プロゴフ『ユングと共時性』河合隼雄 河合幹雄訳 創元社、1987年


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